いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

我々は何故、死にゆく運命を生きるのか-2月にみた映画と2019年のベスト

タイトル決めて、書く映画も決まっていて、しかし、結論に至らず放置していたブログ…他の映画も加えつつ色々考えましたが、どうにも話がまとまりませんでした。

2月に見た映画の話ですよ。今、11月ですよ。どいうこと?

とりあえず、どうにかこの話をまとめたいです…

 

まず、2月に見た「ハッピーオールドイヤー」について、書きます。

この映画はタイのナワポン監督の作品です。ナワポン監督はTIFFで「マリーイズハッピー、マリーイズハッピー」を見て以来チェックしているのですが、今回初の日本劇場公開、待ちに待った劇場公開です。「ハッピーオールドイヤー」は、大阪アジアン映画祭で確かグランプリを受賞していたので、何かの特集上映で見ることが出来たら…と思っていたのですが、まさかの劇場公開!とても楽しみにしていたら、非常に良い作品でした。

しかし、タイ映画しかもナワポン監督の映画だからどうせ地味な映画(一昨年のTIFFで上映されたナワポン監督が撮ったBNK48のドキュメンタリーでは、ナワポン監督が女の子に「貴方の映画はうすらぼんやりしている!」みたいな事を言われていて、さてはお主ナワポン監督のファンだな!と笑ってしまった。)よく劇場公開したな…と思っていたら、人生がトキメクお片付けが出てきたので、日本ネタがあるからか、と納得しました。主演が「バッドジーニアス」の子、というのもあるかも。(タイ人の名前は難しくて覚える事が出来ません。チューレン(あだ名みたいなもの。日本と違ってオフィシャルでも通用する)じゃないと無理です。)

以下あらすじなど。

 

北欧へ留学しインテリアデザイナーとなったジーンは、自宅を改装して事務所にするため整理を始める。はじめは何も考えずにがんがんと物を捨てていくジーンだったが、友人からもらった誕生日プレゼントを捨てたところを友人本人に見咎められ、また、自分のプレゼントを兄が捨てているのを見て傷ついた事から、反省する。そして、借りっぱなしになっていた物やもらったプレゼントなどを、元の持ち主に返していく事にする。喜ばれたり、怒られたりしながら、いろいろな物と一緒に自分の気持ちや記憶を整理していく。

最後に留学する前に付き合っていた元恋人のサニーに借りていたビデオカメラが残る。サニーを捨てたジーンは直接返す事が出来ず、郵送するが受け取りを拒否されてしまったため、直接サニーへ返しにいく。

そして、サニーとその恋人と関わりながら、亡くなったサニーの母の思い出、家族の元から去っていった父の記憶に向き合い、家を、人生を整理していく。

 

実にナワポン監督らしい作品で、細かいエピソードが連なり、何ということはない、しかしかけがえのない記憶が描かれている。

それにしても実験映画とかいう訳でもないのに、あらすじ的なものを書いてもこれほど意味がない監督も珍しい。ナワポン監督の映画は、余白を楽しむ映画なのだと思う。

(同じように、細かいネタをガンガンぶっ込んでくるスタイルで、あらすじ語っても意味ない映画を作る阪元監督との違いはそこ。あれはノイズを楽しむ映画だと思う。)

 

一昨年はナワポン監督の「ダイ トゥモロー」を見た。これも、大阪アジアン映画祭で上映されて、一昨年FILMEXかTIFFの関連イベントで東京で上映されたので、見てきた。この作品は、それこそ余白を味わう映画だった。

事件や事故で亡くなる人の、亡くなる日の1日前を描いたエピソードが連なった映画だ。誰も次の日に自分が、相手が、誰かが 死ぬ事など夢にも思わず、変わらぬ日常が続いていくと疑いもせず、しかしある日突然終わりを告げる日常の物語。

一番はじめのエピソードでこの映画がどのような映画なのかが描かれる。

卒業式前日に女子大生4人がホテルに宿泊、夜中にそのうちの一人が事故に巻き込まれて死亡、と字幕がでる。そしてホテルの一室での女子大生たちの会話がはじまる。彼女達は誰かがこの数時間後に死んでしまう事は知らない。楽しそうに笑いさざめき、普通の1日を過ごしている。映画を見ている私達はこの中の誰かがこの後死んでしまう事を知っているが、それが誰なのかは知らない。ごくごく普通の、女子大生たちの楽しそうな会話。もちろん死の影など、一切無い。そして、そのエピソードは終わる。観客は、結局誰が死んでしまうのかわからないまま終わる。でも、その後で誰かが死んでしまう事は知っている。

その他のエピソードも恋人達の、親子の、兄弟の、誰かが死んでしまう前の日が淡々と描かれていく。

 

19年に劇場公開された「アマンダと僕」も、予期せね死を描いた作品だった。

ある日突然姉をテロで亡くしてしまったダヴィッドが、7歳になる姉の娘のアマンダを育てる、という物語だ。

映画の前半はアルバイトをして、恋に落ち、といった平和な日常生活が描かれている。ごく普通の日常。しかし、公園で待ち合わせをしてピクニックをするはずが、その公園で起こった無差別テロに巻き込まれることで全てが変わってしまう。ダヴィッドの姉は死亡、ダヴィッドは遅刻をしたため無事だったが恋人のレナは負傷してしまい、ピアノを弾くことができなくなってしまう。そして、レナはパリから去ってしまう。

大切なものを失い傷ついた人達が、それでも生きていかなくてはならず、それはとても辛い事なのだが、生きていくという事は喜びに出会う事でもあり、小さな日々の積み重ねがやがて傷を癒していく、美しい物語だった。

 

この作品は、18年TIFFのコンペでグランプリを取った。私はTIFFでは見なかった。

TIFFのコンペのヨーロッパ映画はつまんない(失礼)なんか気取っていて(申し訳ない)意識高いわりに大したことない(いやん)ハリボテのような作品が多い(ごめんなさい)ので舐めていたし、コンペで仏映画なら劇場公開されるじゃろ、と思って見なかったのだが、こんなにいい作品だったとは…

私の19年度ベストの作品だ。

同じ監督の「サマーフィーリング」もよかった。これはある日恋人が突然死してしまった男性と、恋人の妹が少しづつ人生を取り戻していく物語。

どちらの作品も夏を舞台にしており(アマンダはひと夏、サマーフィーリングは3回の夏)16mmの粒子が粗い画像が、柔らかな美しい夏の日々を、悲しみを秘めながらも隠しようもない生のきらめきを写していく 。

 

人は、いつか死ぬ。

では何故生きるのか、というのが難しくて、特に映画でその事を語るのはなかなか難しい。

 

で、4月の終わりに「ノマドランド」を見たのだが、この作品はこの「生きる」という事を、いかに死ぬかという事とあわせて描いた作品だったと思う。

実は、私は「ノマドランド」は、貧困問題を扱った社会派の映画だと思っていて、面倒くさいヤツかと思っていて気分が乗らなかったのだが、アカデミー賞で作品賞と監督賞と主演女優賞を取ったので、まあ、とりあえず見に行きますよね、オタクですから。で、予想していた映画とは全く違う、とてもいい作品だった。

私、あらすじをまとめるのが非常に苦手なので、ざっくり言うと、じじばばのオンザロードだった。

オンザロードと言ってもじじばばなので、この一瞬を生きる、という刹那的な感じではなく、この後すぐに死ぬかもしれないこの一瞬を生きる、我が人生に悔いなし、という映画だった。

作中に「ホームレスではなくハウスレス」というセリフがあったが、ハウスレスという生き方を選択したのであり、その状態に陥ったわけではない、というプライドを感じた。

なぜ生きるのかではなく、ただ生きる、という映画だったと思う。

 

それから、「戦場のメリークリスマス」を見た。

昔テレビで一回見たくらいなのであんま記憶になくて、なんかBL映画だと思っていて、大島渚特集とかでも見てませんでした。あまりいいイメージが無かった。

修復版を上映していたので何十年ぶりくらいに見たのだが、驚いた。これ、武士道の映画じゃないか!!こんな見事に武士道を映画化した作品ないんじゃないか?

(なお、ここで言っている武士道は、武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり、の方です。)

最後、セリアズがヨノイに情けをかける訳だが、あれこそが古典で描かれてきた男色である訳だ。そして、セリアズは見事に死んでのける。

映画冒頭の、なんでこんなエピソードからはじまるのか謎だった朝鮮軍属がオーストリア兵をレイプした事を咎められて割腹しきれず無様をさらす、のはこれとの対比のためだったのか、と思った。(違うの?)

ラストでハラ軍曹が「セリアズは天晴れな男だった。」みたいな感じで褒めていたけど、いや、あの死に様は天晴れだよね。素晴らしかったよ。泣きながら見ましたよ。爆音で見たいよ〜

この映画は、いかに死ぬか、の映画だった。

 

そして最後に。

今年のPFFはナワポン監督特集でした!!9月なのでまだ緊急事態宣言中だったけど、8月にワクチン完了してるしそろそろ東京行っちゃお〜と、久しぶりに半休を駆使して見てきました。

短編、中編作品集と全長編上映という夢のような企画。時間の関係で「ハッピーオールドイヤー」と「BNK48」は見ることが出来ませんでしたが、初見の「あの店長」と「フリーランス」を見ることができました。

まとめて作品を見て、記憶や想いをつづる作品、人が無造作に死ぬ作品を作る人だな、と思いました。カムイシステムの人です。だから、好きなのかもしれない。

(カムイシステムとは。昔、私が頭の悪い中学生だった頃に図書室で発見した法則です。

中学校の図書室には、マンガは「のらくろ」と「カムイ外伝」しかありませんでした。頭の悪い中学生だった私は、図書室で時間を潰す時にマンガを選んだのですが、「カムイ外伝」に衝撃を受けました。人がサクっと死ぬのです。盛り上がりもせず、ぽろっと死んでいくのです。なんでそこで死ぬの?ってところで重要人物と思っていた人が無造作に死にます。初めての体験でした。

以降、見せ場も無く、盛り上がらず、淡々と人が死ぬ作品をカムイシステムと呼んでいます。最近の大作邦画やハリウッド映画ではまずありませんね。)

 

人は、いつか死ぬ。自分では何一つ選ぶ事は出来ない。せめて悔いなく逝けるよう、生き抜くしか出来ない。

今日も生き抜こう。

(畜生、こんな事言ったら、薄汚くハゲ散らかしちまうんじゃないか?)

 

やっと書けた…書き終わったよ…

恋の残り香-1月に見た映画その2 詩人の恋

1月は18本ほど映画を見ました。

大当たり(鬼滅)、当たり7本、いいんじゃないでしょうか6本、そうなんですね4本って感じです。

「詩人の恋」はチラシから想像していた映画と全く違うものでしたが、とてもよかった。

チラシは、男性2人と女性1人のバストショットが3等分の3段になっていました。ベージュが基調の明るい色味のチラシでした。韓国映画なので、ホン サンス的な、おされ三角関係映画だと思って見に行きました。はっきり言って、あんま興味なかった(チラシのあらすじとか読まなかった。)のですが、主演がヤン イクチュンだし、とりあえず見とくべか、時間丁度いいし、程度で見に行きました。

男2人が女を取り合うコミカルな映画だと思って、大して期待していなかったんですよ。チラシの印象はそんな感じだったので。

以下、あらすじと感想。

 

かつて出版した詩集が文学賞を受賞したこともある詩人。今は非常勤講師として働きながら、同人会では詩を「美しいだけ。浮世離れしている。」と酷評され、生活は妻の稼ぎに頼る日々。子供を望む妻からは強引に迫られるが逃げ回り、妊活への協力を強いられる中、近所に出来たドーナツ屋のドーナツにはまって通い詰める日々。やがてドーナツ屋の店員 の青年と顔見知りになり、彼の家庭環境を知り、心の痛みを知り、心を通わせていく…

 

ドーナツ屋の店員は、最初は礼儀正しい、どこか憂いを秘めた青年として登場する。

対する詩人は、自堕落なぽよぽよのお腹にもかかわらず大好きなドーナツの箱を一人で抱えて貪り、ボサボサ頭でぽやんとしており、周囲からは大人の男としての責任感や自覚の無さを指摘されている。(が、逃げ回っている。)

詩人はある時偶然、ドーナツ屋の店員の家庭環境を知る。寝たきりの父、父にも子供にも思いやりも理解も示さないがさつな母、貧しい生活。そして、友達からも浮いている。

周りから理解されず、居場所が無く、心の奥底にどうしようもない虚しさを秘め、いっそ逃げてしまいたいのだがしがらみがそれを許さず、自暴自棄になることも出来ず、ただ苛立ちを募らせる孤独な日々。

おそらく詩人は、自らの苛立ちや孤独をドーナツ屋の店員に重ね、なんとかして手助けしたいと願う。そんな詩人を周囲は理解しない。そして詩人は、ドーナツ屋の店員にここではない、こんな田舎町ではないどこかへ逃げようと言うが、結局は拒まれてしまう。

やがて二人は離ればなれになり、月日は過ぎ、再会する。詩人は新しい詩集を出版し評価され、一児の父となっている。ドーナツ屋の店員は、新しい人生を歩みだしており、かつての孤独な青年ではなく、大人(になりかけ)の男になっていた。詩人もまた、自らの人生に向き合い、大人(になりかけ)の男になっていた。

そして、ラストシーン。これがとても良かった。

ドーナツ屋の店員と再会した後、柔らかな午後の陽射しが差し込む部屋で子供を見つめる詩人。そして一筋の涙をこぼす。

その一筋の涙に、ああ、あれは恋だったのたと、あの出会いの時、冬の陽射しの中の青年の美しい横顔に見惚れたのは確かに恋だったのだと、思った。

全てが過ぎ去り、最早青年期は終わり、そして終わりを迎えた恋の残り香を感じた。

 

昨年末にみた「燃ゆる女の肖像」も、ラストシーンが素晴らしかった。

この映画は、離島で貴族の娘エロイーズとその見合いのための肖像画を描く女流画家マリアンヌの恋の物語だ。

エロイーズは見合いに消極的で、肖像画を快く思っていないため、マリアンヌは盗み見るようにして、肖像画を描こうとするが上手くいかない。やがてエロイーズは肖像画を描くことを認め、二人は親密さを増していく。その過程が、二人の視線の交わりで表現されている。

やがて肖像画は完成し、二人はそれぞれの世界へ戻っていく。

最後に二人は劇場で再会するのだが、見合いで結婚し人妻となったエロイーズはマリアンヌに気が付かない。二人の視線は、二度と交わる事は無い。ただ、マリアンヌの視線のみがエロイーズを見つめる。その視線から、私達観客はマリアンヌの恋の終焉をみる。

恋の残り香は甘く苦く、余韻が続く。そんなラストシーンだった。

 

映画として、完成度という点では、圧倒的に「燃ゆる女の肖像」の方が上であると思う。映像の美しさ、構成、全てが上。

だが、ラストの切なさは私には甲乙つけがたいもので、どちらも素晴らしかった。

両方とも監督は女性で、男性の繊細さとは少し違う、女性らしい繊細な作品だった。

 

さて、「詩人の恋」のドーナツ屋の店員は、「藁にもすがる獣たち」で嬢の旦那を殺すDQNをやってました。全く違う雰囲気でしたが、どっちもよかったです。いい役者さんですね。

「藁にもすがる獣たち」は時系列が前後するので、そういうのが苦手な人は楽しめないかもしれないけど、役者がみんな芸達者でキャラが立っているので物語がわかりやすく、テンポがよくて、軽く楽しむのには丁度いい映画だったと思います。

 

美しい映画のない人生なんて味気ないものですが、サクッと後腐れなく楽しめる映画のない人生もまた、ひどくつまらないものになってしまうと思います。

 

いや〜、月並みですが、映画ってやっぱいいもんですね。

 

 

煉獄さんLOVE -1月に見た映画その1

なんか「鬼滅の刃」がすっごい人気で、興行収入ジブリを抜いて歴代1位とかなんとかで、ものすっごいというじゃないですか。まぁ、私も映画おたくとして流行りもんは押さえとかなきゃな、くらいの軽い気持ちで見にいったんですよ。混んでいるのを避けたかったので年が明けてからなんですけど。

私ももうジャンプとかそんなもんに熱狂するような年でもないし、まぁ、とりあえず見とくべよ、くらいの適当な感じです。

あと、シネフィルやサブカル界隈って、アニメをバカにしがちじゃないですか。最近そういうのにウンザリしていたのもあって、シネフィルやサブカル界隈があまり評価していないアート系ではないアニメをこれからは少し見てみようと思い、昨年末くらいから月イチはアニメを見るキャンペーンを始めていたので、見に行きました。

(ちなみに、月イチアニメキャンペーンは、まず「ヴァイオレットエヴァーガーデン」は苦手なタイプの少女漫画だったので敗れさりました。「エヴァンゲリオン」を初めて見ましたが、1はメンヘラはムリ…で敗れさり、2は始めのうちは大丈夫だったのですが結局メンヘラはムリ…で敗れさり、3は面倒くさくなって見ませんでした。シンは一応見ようと思ってますけど、3見てなくても大丈夫っすかね?)

 

サブカル界隈って、関係ない人から見るとオタクと変わらないように見えると思いますが、全く違うんですよね。そして、サブカルの人達は自分達のセンスがナニなところを棚に上げて馬鹿にしているダサいオタク(わしら)と同じように扱われる事を非常に嫌がっているように思います。オタクの私からしたら、どっちもどっちだと思いますが。

彼らのいくつかの政治的な発言や振る舞いは、あまり政治に興味がない保守中道のオタクの私からは、賛同しかねます。インターネット的に言うとリベサヨ的な発言というのでしょうか。

ま、それは、その意見には同意出来ない、程度のことです。どうでもいい事です。世の中色々な意見があって当たり前ですから。

私が嫌だと思っているのは、最近の映画には、作品のクオリティ以上に評価されている映画があることです。人気のある俳優が出演している、などという理由ではなく、なんというか、政治的主張が過度に評価されている映画があると思うのです。

映画は本来その作品のみで評価されるべきであると思います。それなのに、作品のクオリティではなく、それ以外の部分で過度に評価されている作品があります。私は、政治的な主張に賛同出来ない事以上に、作品のクオリティ以外の部分で評価されている作品について、非常に不快に思っています。

はっきり言うと、左派から過剰に評価されている作品が、非常に不快です。

左派から評価されている最近の映画の、私の感想は大体こんな感じです↓

「新聞記者」ショボい。スケールが小さい。グランドスラム作戦かよ、って思いました。(スケバン刑事の最後のやつです。ずーっとグランドスラムグランドスラムって言っていて、どんなにすごい陰謀かとワクワクしていたら、あれですからね。子供心にガッカリっちゅうか怒り狂いましたわ。それ以来何十年も、ショボい陰謀は全てグランドスラムと言っています。それくらい恨んでいます。)もう少し娯楽作として楽しめるように派手に作るか(そうすると予算バイバイマン、キネ旬圏外、ワシ大好物のいんぼーろーんワハハ)、もう少しリアルに作って欲しい。

役者はいい。松坂 桃李は今一番期待している死んだ魚の目のイケメン。最後の目の死にっぷりは良かったです。あのシーンのためだけにチケット代を払ったと思いました。

大したことない映画ですが、謎の高評価。キネ旬1位でしたっけ?どいうこと?

「はりぼて」小さなTV局が地方政治の不正を暴くっちゅうドキュメンタリー映画らしいです。

でも、あんなのきっと地元では公然の秘密とかそんなのだったんじゃぁないですかね。ショボいネタなんです。昔はそれでも良かったかもしれないけど、今時コンプラ的にどうよ?程度の話ですよ、あんなの。それをなんかモリモリにして、不正を暴く!!って、「あ、はあ。」って感じになります。映画じゃないよ、あんなの。日曜日の午後にTVで垂れ流してろ、ってスタバでJKが言ってました。あれ、ルノアールだっけ?

最後に一人のアナウンサーが「これは私のやりたかった事ではない。」と言って去っていくんですが、あれが保守中道の感覚だと思います。

この映画の唯一の見どころは、最初はふんぞり返っているお偉い名士の議員先生が、やがて泣いて謝罪ってのが繰り返されるとこですかね。私はゲスいので「がははは〜」って笑っていましたけど、普通の健全で善良で良識ある保守中道の方達には、あれは非常に不快だと思います。だって下品じゃないですか。私は自分のゲスさを自覚してあれを楽しみましたが、無自覚にあれを並べ立てて見世物にするのはいかがなものかと思いますよ。

「なぜ君は総理大臣になれないのか」リベサヨのダメなところ全部のせの映画です。いや、もう酷いもんです。ドキュメンタリー映画としても、評価すべき点が全くありません。しかし、これも一部で謎の高評価。なぜ?

この映画で唯一おっ、と思ったのは、小川氏が玉木氏を「あの人とは組めない。」って評していたとこでしょうか。おっ、玉木氏いけてるの?って思いました。

そしたら、国民民主党が立憲と合流しない、っていうじゃないですか!ブラボー!!

頑張れ玉木!政権交代とかいう寝言を言わず、アホな候補を立てず、つまらないパフォーマンスをせず、ぐろーばるとかふぇみとか横文字使ったクソな主張をせず、真面目に政策を主張して頑張ってくれ!そうしたなら、わしら40%の無党派層、日本の真のリベラル、保守中道が君達を応援するぞ!!(主語が大きい)我々が期待しているのは、政権交代とかじゃない。そんなもんは無意味だという事は骨身にしみた。我々が期待しているのは、現在の公明党の立場になれる政党だ。頼む!!(主語が大きい)

あー、こんな映画達の話をしてもしょうがないわ。

故若松監督なんかは根性の入った左派だから、作る映画も面白かったんですよ。あと、若松監督の映画は生き様を見ている、って感じも良かったです。心が強くて頑固な感じで、根性入っている監督でした。今時の自称左派の人は、なんかいい事言ってる感じで褒めてもらいたい人ばかりのように見えて、私はあまり好きではありません。

 

そんで鬼滅ですよ。

いや、もう最高でしたよ。

鬼滅の刃」は最高!!でした!!

漫画もTVアニメも見ていないし、下調べもしていないので(予備知識が無いと楽しめない映画はクソ)最初はよくわからなかったので「ふ〜〜ん」程度でしたが、後半はノリノリ。最後は、私の中の全童貞が泣きながら両拳を天高く突き上げて「煉獄さ〜ん」って叫んでました。

マジで煉獄さん格好よすぎ。

マジで鬼滅面白かった。もう一回見たい。

ところでちょっとググってみたら、無限列車編って全然最初の方なんですね。鬼滅全23巻中の10巻未満…するってえと、煉獄さんは生き返るんですかね?だってジャンプですよね??神龍でてくるんですかね???

 

(追記)

1〜3月は緊急事態宣言が出ていたので家にずっとこもっていたし、36協定の関係で残業が出来ないけど仕事はあるよん、という状況だったので少し荒んでいました。人を小馬鹿にした表現を訂正します。

 

頭がパックリ割れましたーコロナの時代の通院それから2020のまとめ

いや〜2020年は本当に大変でした。

3月くらいからずっと家にこもっているのでマジで色々辛いのですが、新型コロナに関しては私なんぞよりよっぽど大変な方達が沢山いらっしゃると思います。それでも私は私なりに色々辛かったです。

ずーっと在宅勤務で、そのため運動不足でぷよぷよ肥え太り、おかげさまで人生最デブ記録を更新…私は食べても食べても太らず、自称・高校球児の胃袋、他称・フードファイターとまで呼ばれていたのに…ぷよぷよ

しかし上には上がいます。会社の人に「太りました〜」と言うと、「5K太った」とか「10K太った」とかいう恐るべき返事が返ってきます。意味がわからない。私は体質でそんなに肥え太る事は出来ません。でも、お正月太りも重なり、人間ドックでは昨年比2K太っていました…洋服のサイズ的にはもっとヤバイ…ぷよぷよ〜。

まぁでも、私的に一番辛かったのは頭がパックリ割れちゃった事ですかね。

コロナの始まりのころに銭湯で貧血起こしてぶっ倒れまして、完全にブラックアウトしたので全く受け身を取れず、後頭部をモロにうちました。しかも排水の金具のとこ。そんでパックリいっちゃった訳です。

パックリっていうのは、救急搬送された病院でお医者さんに言われました。

通院した会社の側の病院でお医者さんに傷を初めて見せた時に「状況がわからない…」と言われたので、経緯を説明した後「救急搬送された病院ではパックリいってると言われました。」と言ったところ「確かにパックリいってるね〜」とお医者さんと看護婦さんにうけたので、多分パックリいっちゃっていたんだと思います。知らんけど。

とにかく傷の治りが悪くて、肉が盛り上がってこなくて傷がなかなかふさがらず、傷がふさがったかと思うとまた血を吹き…を約1ヶ月以上繰り返しました。なんか、スパッと割れたような傷は治りやすいみたいなんですけど、私の傷は打ちつけた破裂したような傷なので、ふさがりにくいとの事でした。知らんけど。まぁ、確かに傷あとはジグザグのY字になってました。無理矢理寄せ集めて縫い合わせた、って感じでした。ちなみに、4針の傷です。

そして、4月の緊急事態宣言直前に「最初の縫合の時に雑菌が入っているのかもしれない。傷の周りを抉って綺麗にしましょう。」という事になり、なんか手当てしてもらいました。知らんけど。

なんか傷の周りを抉ったらしいので傷は痛むし辛かったんですけど、緊急事態宣言出ると映画館閉まっちゃうので、土曜日だったので帰りに映画見に行きました。「CURED」です。イギリスのゾンビ映画です。日曜日も消毒してもらうため病院に行ったので、非常に辛かったのですがしばらく映画を見る事が出来ないと思い、まさに死ぬ気で映画を見に行きました。オタクですから。見たのは「ゾンビ」です。馬鹿だと思います。

で、頭がパックリいってるので、マジでつらくて、ぼ〜っと映画を見ていました。どんくらい辛いかというと字幕読んでいるのに読めないくらい辛かったです。意味わかりせんか?そうですか。

「ゾンビ」見ながら思ったのは、トンカチでゾンビの頭をカチ割るシーンで、傷口がスパッと綺麗に割れているのを見て「そんな綺麗な傷口のワケがない。」と思いました。もっと破裂したような汚い傷口になります。そしてそういう傷口はくっつきにくいので治りにくいのです。ソースは私の頭です。

傷口がどんなになってるのかまるでわからなかったのですが、とにかく、24時間四六時中ズキズキと痛むので、なんか手当てをしてもらったんだな、って感じでした。寝ることもできないほど常に痛かったです。その状況で映画見に行こうと思えるって、マジおたくすげぇわ、と思いました。

月曜日に先生がスマホで傷口の写真を撮って見せてくれたのですが、真っ赤な三角形の傷口がパックリあいていたので、思わず「先生、これどうやって縫うんですか?」って聞いちゃいました。(後から考えると、きゃ〜怖い〜とかいう反応の方が女子っぽかったか、と思いましたが、私、変な映画を沢山みているのであの程度の写真ではビビれないんですよ。)「縫わないでこのまま肉が盛り上がるのをまちます。」という…「先生、ここ、髪の毛はどうなりますか?」もっと他に心配する事はないのか、というくだらない、しかし大事な事を確認する私。「毛根潰れてしまったので髪の毛ははえてきません。」えぇっ、それって、つまり、は…g…

傷心…

とにかく痛かったのですが、この頃から、なんか自分の身体が頑張っている感じの痛さになり、多分これはそのうち治るんじゃないか、と思いました。知らんけど。

先生に「なんか自分の身体が頑張っている感じの痛さになりました。」と言ったら、うけてました。

 

結局パックリいっちゃった次の日のみ年休で、あとは通院のための遅刻のみで乗り切りました。毎年年休大量に余らせているのでいくらでも休めたのですが、そうも言ってられない状況だったので。まぁ、痛みで集中出来ず、ぱあ助な仕事ぶりでしたが。

3月から在宅勤務だったので、緊急事態宣言の最中に家から会社のそばの病院に通院して家に帰って仕事する、という訳の分からん事をしていました。

傷口が後頭部なのでほとんど眠る事が出来ず、傷口も半年以上痛かったので、本当に辛かったです。1,2時間毎に起きるというのが半年くらい続きました。普通に眠る事が出来るようになったのは、9,10月ころからです。

眠れないと疲れがとれず、キツかったです。

あ〜辛かったわ〜〜 

 

で、4,5月の緊急事態宣言の最中に東京の総合病院に通院していて思ったのは、看護師さんや先生方がとてもポジティブに元気に頑張っていらしたこと。新型コロナの事がまだよくわからない中で、沢山の患者さんに接しながら、明るくポジティブに振る舞っていらっしゃる姿を見て、医療従事者ってすごいなーと思いました。

通院していたのが脳神経外科だったので、状況が理解できない方とかいらっしゃるんですけど(熱があるのに予約しているから来ちゃうおばあちゃんとか。)根気強く応対してらっしゃいました。

私は、100歳で大往生した祖母(火葬場の職員さんが、100歳でこんなにしっかりと骨が残っているなんてすごいですね、健康だったんですね、と言われるような病気知らずの人)に兄弟の中で体質が一番似ていると言われている母にそっくりと言われているものすごく健康な人間のため、病院とは全く関わりなく過ごしてきたので、病院ってどんな感じなのかよく知らなかったのですが、素晴らしいなと思いました。

とにかく、治ったかと思うと血を吹くを繰り返していたので、日曜日に救急で消毒してもらったりしていたのですが、ガラガラでそれほど待たずに処置をしてもらっていました。

先生によると、冬の日曜日の救急は例年はインフルエンザの患者さんが多い時には100人くらいいる、との事でしたので、かなり異常な状況だったのだと思います。

 

そんなこんなで、2020年は色々大変(ハゲて傷心)な1年でしたが、映画は232本見ることが出来ました。

在宅勤務だったので、会社帰りに映画館による事が出来なかったし、頭がパックリいっていたので、映画どこじゃなかったのですが、頑張りました。

ここ5年くらい少し映画を見過ぎでいたので、特にここ2年くらいは超見過ぎており、ずっとどうにかしたいと思っていたので、ちょうどいいくらいの鑑賞本数かな、と思います。

ベストは、「ある画家の数奇な運命」でした。

ニューシネマパラダイス」のような、普遍の愛が帰ってくるラストがとても良かった。ナチスが出てくるのですが贖罪とかではなく、悪い奴が栄えてもそれとは関係なく人生も愛も続いていくという、美しくも力強い物語でした。まさに映画、といった感じの物語でした。

 

あ、そうだ、ちなみにまだ、傷、痛いです。

はやく「うっ、古傷が」と言えるようになりたいです。

 

銭湯でみかんを食べる婆ぁ-2018ベスト、幸福城市

風俗街の端っこに、銭湯がある。

阪東橋の大通り沿いには、ソープが立ち並ぶ。薄暗い裏道も、風俗店がごちゃごちゃとしている。

その、細い路地沿いに、銭湯がある。

古い作りの銭湯だ。お湯も43度くらいで高めの設定だ。

水風呂がある。有難い、と思って入ると、べらぼうに冷たい。水道水をそのまんま注いでいるのだろうか。5秒と入っている事は出来ない。

シャワーは固定されていて、はずす事は出来ない。

銭湯で癒されたい女子は、まず、近寄りもしないだろう。そんな銭湯がある。

そもそも、いわゆる「女子」は、いない。

お客さんはよくておばちゃん、他は婆さんだ。

そして、多国籍だ。肌の色は黄色のグラデーション。

東南アジア系がこんな熱い湯につかる事ができるのか、と思ったが、彼女たちは体を洗うだけで、浴槽に入ることは、ほぼない。入っても、一瞬だ。

東アジア系は、熱い風呂につかる。

私は、更にだらだらと風呂につかる。

長風呂が大好きなのだ。

39度くらいのぬるいお湯に一時間くらいのんびりつかるのが一番好きなのだが、平熱が高いからか(37度近い。)熱い湯も耐える事が出来る。

熱い湯につかり、水を浴び、くつろいで、また湯につかり…と繰り返していた。

ふと気が付くと、韓国語で話しているおばちゃん達が、みかんを食べていた。

多分スタッフに見つかったら注意されるのだろうが、こんな小さな銭湯でみまわりなど、ない。野放しだ。いいな〜いいなぁ〜〜みかん食べたい〜

いちごもいいなぁ〜夏はスイカも〜などと妄想していたら、おばちゃん達は、さらにジップロックから、カットされた王林を取り出して、食べはじめた。

フリーダム〜

ここは日本か?細かい姑ルールにがんじがらめの、日本なのか?

ダメな人は、おそらく全く受け付けない環境だろう。だが、私は、妙にくつろいでしまう空間なのだ。

熱い湯につかりながら、いつかヨボヨボの婆さんになって一人銭湯に行き、誰とも話すこともなく一人みかんを食べたい、と思うほどには。

昭和のムード歌謡が流れる銭湯で、薄暗い路地の銭湯で、いつかを夢想するほどには。

 

去年は、なんか、私、369本も映画館で映画を観たみたいです。(他人事。)

お正月に数えていて、びっくりよ。暑いころは(私基準で)あまり観ていなかったのだけど、ゴールデンウィークまでと10月から12月がひどすぎた。

年間ベストは劇場公開作にしたいのだが、フィルメックスでみた「幸福城市」があまりにドストライクすぎたので、ポリシー曲げます。2018年の私のベスト映画は「幸福城市」です。

大体、2、3年に1本くらい、つまり千本くらい映画を観て1本あるかな〜くらいの確率で私的に完璧な映画があるのだが、そんな映画だった。

2056年の台北を舞台にして、主人公の壮年期、青年期、少年期を遡っていき、どの時代も、人生を変えるある一夜が描かれる。

ぽつりぽつりとあるネオンが人の息づかいを感じさせる、そんな寂れた裏町の物語だった。

私にはそれは、あの阪東橋の裏道の、てんてんと店の灯りがともっている、しんとした静かな通りを思いださせるものだった。

映画では非常に印象的に、昭和のムード歌謡的な曲が繰り返しかかっていた。そんなところも、また、よかった。

今年のフィルメックスは神がかっていて、素晴らしい作品ばかりだったが、一番好きなのは、全く幸せじゃない「幸福城市」。

劇場公開してくれないかな〜

黄金町の思い出ーオウム真理教とか、A2、ヤクザと憲法

もうかれこれ20年くらい前のお正月の事だ。
当時、私はタイ料理にはまっていた。(今でもタイ料理は大好きだが、当時はドハマりしていた。)その日は、若葉町の馴染みのタイ料理のレストランで、友達と待ち合わせをしていた。
黄金町からの通い慣れた道は、その日は全く人気がなかった。お正月休みの午前中にしても、変だった。
そして、さらに異様なのは、脇道全てにグレーの人員輸送車?が止まっているのだ。警官もいる。脇道毎にいる。頭上には複数のヘリコプターの音がする。
こりゃ、なんか事件でもあったのかな〜と思いながら、お店に向かった。既にお店にいた友達に「なんか外凄いんだけど、また発砲事件でもあったの?」(大通公園とか日の出町とか、横浜もあの界隈は色々物騒だったのですよ、昔は。)呑気にたずねると、「オウムの上祐さん、出所したでしょ。」「あー、横浜にいるんだよねー」「そう、すぐそこ。そこにいる。」「はぁ?」
そう、すぐそこに上祐さんがいたのだ。
私達のいたタイレストランから、ほんの数ブロック先のオウムの施設に、上祐さんはいたのだ。
一昨年だったか、森監督の「FAKE」公開時に特別上映された「A2」を見ながら、思い出していた。
「A2」では、田舎の教団施設から黄金町に移ってきた男性信者が森監督のインタビューに答えて、「性欲は押さえている。でも、こっちに来て、久しぶりにそういった夢を見た。」というような事を生真面目に答えていた。
そうだよね、あの頃のあの辺りは、立ちんぼとか沢山いたしね。ちょんのまで働いているタイの女の子達が「中国人、信じられない!ゴム無し1万円で商売してる!病気怖いし、1万円じゃ家族養えない!」とかレストランで愚痴言ってたりして、中国の価格破壊凄いな、とか思ったりしていた時代だ。
今では考えられないかもしれないが、あの頃の若葉町は、夜、女が一人で出歩けるような街ではなかった。だから、私達はいつも休日の午前中にタイ料理屋に通っていた。大岡川沿いなんて、昼間でもカタギの日本人女性には近付く事は出来なかった。だが、あの界隈の外国人はほぼノービザなので、彼らから進んで堅気の日本人と揉めるような事はしない。こちらが礼儀正しく大人しくしていれば、日本語が通じにくいタイレストランでも問題は無かった。
当時は、今のように誰もが携帯電話を持っているような時代ではなかった。だから公衆電話がそこかしこにあった。黄金町の駅前にある公衆電話は、ボックス一杯にテレクラのチラシが貼ってあり、恐ろしく臭かった。改札からすぐの裏道は真っ暗で、覗き見る事すらためらわれた。そんな街だった。
高校時代の友達は、高校卒業後に医療事務の資格を取って阪東橋のあたりの病院で働いていたのだが、「こんな汚い街大嫌い。」と常に言っていた。そして割合すぐに転職していった。確かに汚くていかがわしい街なのだが、私はこの世の周縁部にあるような、どこにも属することの出来ないこの街が、嫌いではなかった。
そんなこんなを、オウム事件の死刑囚の刑が執行されたというニュースを見て、思い出した。

「A2」で印象に残ったエピソードに、恐らく知的障害か精神障害があると思われる信者が出て来るシーンがある。精神的に不安定な彼らを、他の信者達が世話をしていた。物理的なだけではなく、精神的な居場所がそこにはあった。

他にも「ヤクザと憲法」という映画でも、何か障害を抱えている男性が、暴力団に住み込みで暮らしていた。セリフなどは忘れてしまったが、組長が「彼らを見捨てる事は出来ない」といった感じの事を言っていた(と思う。うろ覚え。)

宗教団体や暴力団は、そういった 行き場のない人達が行き着く先でもあったのだ。どちらも、そんな弱者を食い物にしている面もあるのだが、どこにも行き場のない人達の受け皿でもあった。(善し悪しは別として。)家族と折り合いが悪く、地域社会からも疎まれて、はみ出した人達が流れ着き、生きていく事が出来る場所だったのだ。

今では、どちらも規制されてしまい、あの人達はいったい何処へ行ってしまったのか。

 

オウム事件で13人もの死刑がほぼまとめて執行された事には、非常に強い衝撃を受けた。麻原元死刑囚とその他の弟子たちが、同時に刑が執行されたのは、全く理解出来ない。

私は、死刑制度は、廃止すべきではないと思っている。しかし、死刑は積極的に執行されるべきではない、と思っている。死刑執行には、慎重の上にも慎重を重ねなければならない。

私が死刑制度に期待しているのは、法抑止力である。実際に死刑が執行される事は望んでおらず、やむにやまれぬー例えば、麻原元死刑囚に刑が執行されたようなー時のみに執行されるべきであると思う。そして、死刑制度を廃止すべきではない、と思っているのは、今のこのご時世に死刑制度を廃止したら、死刑制度を復活させることは、おそらく不可能であると思われるからだ。
だが、現在のこの厳罰化の流れの中で、こんなにも軽々しく死刑が執行されるのを目の当たりにすると、その考えにゆらぎが出てくる。その他にも、状況証拠だけで死刑判決が下されたりする現状をみると、死刑制度に疑問を持つ。

 

今年は本当に色々な事が起こり過ぎて、なんだか思考をまとめている暇がない。

 

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の再犯について、未成年にも厳罰で対応すべきだった、という意見には、私は同意できない。あれは、厳罰化で解決できる事ではなかったと思う。

子供達がノリか格好つけか何かでやり過ぎてしまい、自分達で止める事が出来なかった時に求められるのは、常識ある大人の介入ではないか。確か、あの事件では、女の子は一ヵ月以上監禁されていたと思うが、その間に周囲の大人が適切に介入していれば、少なくとも最悪の事態だけは避ける事が出来たかもしれない。最悪の事態が起きてしまった後に厳罰で対処しても、被害者そして加害者の人生も、破壊されてしまったものは元には戻らない。

 

ネットにまつわる事件についても、我々は今後は適度に介入する必要があるのではなのではないか。規制するのではなく、やり過ぎない様なルールというか規律というか、そういったものを作ることが出来ないものか。それはやってはいけないよ、そうしないとお巡りさんに逮捕されちゃうよ、という感じで。

例えば、煽り行為について、事情聴取ではなく殺人教唆や幇助などで告発するなど。強制的にネット弁慶をやめていただく。そうすることにより、ネット弁慶をご卒業したくない人達にプレッシャーを与えていくことで、ネットから飛び出してしまう、自らネット弁慶をご卒業される人達を出さないようにする。ネット弁慶規制法、いや、規制は反対なのだが、どうにかして秩序を作ることは出来ないものか。無理かな〜。頭のいい人達でなんか考えてくれないかな〜(人任せ〜)

うぇ〜〜いーカメラを止めるなとかファミリーウォーズとか、日本人の若手映画監督の作品、そして入江悠礼讃

なんだか「カメラを止めるな」が、物凄く盛り上がっているようですね。

暑くなってからコンディションが良くなくて、映画を見るペースが落ちていた。特にコンテンツ系の映画は全く見る気がしなかったので、すかしたミニシアター系のさらにすかしたアート系(お恥ずかしい事に一番好きな分野。幻想的な作品が大好き。)を中心に見ていた。ハリウッド映画の、大きい音や過剰な音楽と演出が、全く受け付けなかった。(でもMIPは死ぬ気で見てきた。あれは見逃せない。面白かった。トム・クルーズ最高)

この夏見た映画で一番素晴らしかったのは、遠藤麻衣子の「TECHNOLOGY」。この作品は本当に良かった。まるであの世とこの世がつながるような感覚の作品で、涙が止まらなかった。私は美しい花の物語だと思ったのだが、解説を読んだら、かぐや姫だった。(…「かぐや姫の物語」見たいなぁ。ジブリで一番好きなのはナウシカかぐや姫なんだよな。)遠藤麻衣子監督は、今後チェックしなくちゃならん。アテネフランセとか写美辺りでやってくれそう。

さて、カメ止めです。なんか凄い盛り上がっているけど、よっぴーはほめてるし、監督の父上のFacebookに引いてしまい、完全に見る気を無くしていた。そんな時になんかゲスい盗作話が聞こえてきたので、これは見に行かねば!やはり映画オタクとして流行りものは押さえねば!!と、あわてて見てきた。シネコンではなく、寂れた雰囲気の中で見たかったので、相鉄ムービルにした。(30年以上前からある老舗映画館。横浜駅唯一の映画館で一応109系列でありながら、いつでも会員は1,100円、つまり、いつ行ってもガラガラに空いている。女子トイレなんて、個室20個くらいあるのに、洋式1個よ。あとは全部和式。スクリーンも席数が多くて、客席が段差になってない。昔風の作りの映画館。壊すのにお金がかかるから、設備投資せずにとりあえず営業しているような感じ。)さすがに満席にはなってなかったけど、子供の頃以来見たことないほどの客の入り。いい雰囲気だ。

映画は、面白かった。最後まで見落としがあってはならない!と思わせる展開、そして飽きさせないように細部にまで手を抜かず作られていて、楽しめた。そういうところはプロの仕事なんだけど、低予算映画だからチープな感じがあって、それがまたいい味わいだった。『会いに行けるアイドル』的な映画だったと思う。若い子にはこういう感じが受けるんだなぁ、と思った。

今年は「枝葉のこと」とか「大和(カリフォルニア)」とか、若手監督が作った神奈川県央ローカルの良質な映画が公開されているのだが、どちらも路地裏の物語で孤独や傷に向き合うタイプの作品だった。その閉塞感は、空族のロードサイドの物語にも通じる、渇いた空気だった。(地方の人には神奈川は東京のオマケ的に言われるが、神奈川県って東京とは違うのよ。東京郊外の、一地方都市なのよ。)そういう自己に向き合ったドライで真摯な映画より、ウェットでちょっとええ話の方がうけるんだなぁ。うーむ。

さて、カメ止めと似たような、コンテンツ映画的に作られながら、全くうけるとは思えないのが「ファミリー☆ウォーズ」。感想は、また、馬鹿な映画作りやがって…といった感じ。ものすごいパワーで、呆れるほど馬鹿で、面白かった。

とにかく思い付く限りのアホなネタを、より露悪的に仕上げて、これでもかとぶち込むという…馬鹿じゃない?以外に言う事はないスタイルの映画。ただ、阪元監督の凄いところは、私が今まで見た6本の映画の中で、こんだけアホなネタをこんだけぶち込んできやがりながら、同じ事を繰り返している、という印象は受けないところだ。これ結構凄いと思う。

映画は、若さ故か、少し軽い。人と違う事をしよう、面白いものを作ろう、というあふれるガッツを感じるが、まだネタとして消化しているだけの、コンテンツ映画としての印象が強い。これは役者陣にも言える事だが、アイデアを出して色々試している段階のようだ。欲望でも焦燥でもなんでもいいが、自分の内側から湧き出てくるものではない、頭で考えて作っている印象がある。今、この手の映画を見るコンディションじゃないから、なんか、嫌な映画オタクの感想になっちゃうな〜。

映画オタクとしては、10年、20年スパンで生ぬるく見守りつつ今後に期待、といった感じ。

例えば、入江悠監督は、サイタマノラッパーからチェックしていて、もとから大好きだったけど、「太陽」そして「ビジランテ」で、さらに好きになった。あの2作で化けたなぁ〜と本当に嬉しかった。(ちなみに、ジョーカーゲームは見ていません。)はてなブログで例えると、モビルスーツのぶちょーがJD語りをやめていきなり武闘派に転向したかのような衝撃。よくわからない例えだと思うかもしれないが、それくらいの衝撃。(入江ぶちょーと呼びたいくらい芸風が似ていると思っているのは、私だけか?)確かに、SRにも鬱屈とした暴力性があったが、こんな風に化けるとは思わなかった。今一番期待している、メジャーもいける日本の若手映画監督。(ちなみに、ジョーカーゲームは見ていません。)

阪元監督は、入江監督のような屈折はあまり感じず、非常に素直な印象がある。のびのびと馬鹿な事をしているな〜馬鹿だな〜ホントに馬鹿だな〜いやここまで馬鹿だと逆にすごいな〜、とほのぼのとした気持ちで見守っている。まだ、その暴力性を語るほどではなく、出し切っていない。今しか出来ない事をやり尽くし、その後に何を出してくるのか、それを楽しみにしたい。10年後でも20年後でもいいが、ま、出来たら早目に頼んます。

 

今年のホラー秘宝は、これまでと色々と違うものだった。毎年初日の最終上映回はリバイバル上映で、高橋ヨシキさんと寺沢ホークさんのゆるいトーク付きだったのだが、今年は阪元劇場だった。毎年千葉監督の新作が上映されていたのだが、今年はなかった。そして、毎年千葉監督と平山先生のトークは、映画の話を全くしない平山先生相手に敬語で応対しつつも苛立つ千葉監督を、10数人のおっさんとおばちゃんが生温かく半笑いで見ていたのだが、それも今年はなかった。去年いた人、今年の新しい人。色々なものが、様々に変化していく。生きているってこんな感じなんだな、と思った。夏の終わりはしみじみと、おセンチになってしまうね。