いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

黄金町の思い出ーオウム真理教とか、A2、ヤクザと憲法

もうかれこれ20年くらい前のお正月の事だ。
当時、私はタイ料理にはまっていた。(今でもタイ料理は大好きだが、当時はドハマりしていた。)その日は、若葉町の馴染みのタイ料理のレストランで、友達と待ち合わせをしていた。
黄金町からの通い慣れた道は、その日は全く人気がなかった。お正月休みの午前中にしても、変だった。
そして、さらに異様なのは、脇道全てにグレーの人員輸送車?が止まっているのだ。警官もいる。脇道毎にいる。頭上には複数のヘリコプターの音がする。
こりゃ、なんか事件でもあったのかな〜と思いながら、お店に向かった。既にお店にいた友達に「なんか外凄いんだけど、また発砲事件でもあったの?」(大通公園とか日の出町とか、横浜もあの界隈は色々物騒だったのですよ、昔は。)呑気にたずねると、「オウムの上祐さん、出所したでしょ。」「あー、横浜にいるんだよねー」「そう、すぐそこ。そこにいる。」「はぁ?」
そう、すぐそこに上祐さんがいたのだ。
私達のいたタイレストランから、ほんの数ブロック先のオウムの施設に、上祐さんはいたのだ。
一昨年だったか、森監督の「FAKE」公開時に特別上映された「A2」を見ながら、思い出していた。
「A2」では、田舎の教団施設から黄金町に移ってきた男性信者が森監督のインタビューに答えて、「性欲は押さえている。でも、こっちに来て、久しぶりにそういった夢を見た。」というような事を生真面目に答えていた。
そうだよね、あの頃のあの辺りは、立ちんぼとか沢山いたしね。ちょんのまで働いているタイの女の子達が「中国人、信じられない!ゴム無し1万円で商売してる!病気怖いし、1万円じゃ家族養えない!」とかレストランで愚痴言ってたりして、中国の価格破壊凄いな、とか思ったりしていた時代だ。
今では考えられないかもしれないが、あの頃の若葉町は、夜、女が一人で出歩けるような街ではなかった。だから、私達はいつも休日の午前中にタイ料理屋に通っていた。大岡川沿いなんて、昼間でもカタギの日本人女性には近付く事は出来なかった。だが、あの界隈の外国人はほぼノービザなので、彼らから進んで堅気の日本人と揉めるような事はしない。こちらが礼儀正しく大人しくしていれば、日本語が通じにくいタイレストランでも問題は無かった。
当時は、今のように誰もが携帯電話を持っているような時代ではなかった。だから公衆電話がそこかしこにあった。黄金町の駅前にある公衆電話は、ボックス一杯にテレクラのチラシが貼ってあり、恐ろしく臭かった。改札からすぐの裏道は真っ暗で、覗き見る事すらためらわれた。そんな街だった。
高校時代の友達は、高校卒業後に医療事務の資格を取って阪東橋のあたりの病院で働いていたのだが、「こんな汚い街大嫌い。」と常に言っていた。そして割合すぐに転職していった。確かに汚くていかがわしい街なのだが、私はこの世の周縁部にあるような、どこにも属することの出来ないこの街が、嫌いではなかった。
そんなこんなを、オウム事件の死刑囚の刑が執行されたというニュースを見て、思い出した。

「A2」で印象に残ったエピソードに、恐らく知的障害か精神障害があると思われる信者が出て来るシーンがある。精神的に不安定な彼らを、他の信者達が世話をしていた。物理的なだけではなく、精神的な居場所がそこにはあった。

他にも「ヤクザと憲法」という映画でも、何か障害を抱えている男性が、暴力団に住み込みで暮らしていた。セリフなどは忘れてしまったが、組長が「彼らを見捨てる事は出来ない」といった感じの事を言っていた(と思う。うろ覚え。)

宗教団体や暴力団は、そういった 行き場のない人達が行き着く先でもあったのだ。どちらも、そんな弱者を食い物にしている面もあるのだが、どこにも行き場のない人達の受け皿でもあった。(善し悪しは別として。)家族と折り合いが悪く、地域社会からも疎まれて、はみ出した人達が流れ着き、生きていく事が出来る場所だったのだ。

今では、どちらも規制されてしまい、あの人達はいったい何処へ行ってしまったのか。

 

オウム事件で13人もの死刑がほぼまとめて執行された事には、非常に強い衝撃を受けた。麻原元死刑囚とその他の弟子たちが、同時に刑が執行されたのは、全く理解出来ない。

私は、死刑制度は、廃止すべきではないと思っている。しかし、死刑は積極的に執行されるべきではない、と思っている。死刑執行には、慎重の上にも慎重を重ねなければならない。

私が死刑制度に期待しているのは、法抑止力である。実際に死刑が執行される事は望んでおらず、やむにやまれぬー例えば、麻原元死刑囚に刑が執行されたようなー時のみに執行されるべきであると思う。そして、死刑制度を廃止すべきではない、と思っているのは、今のこのご時世に死刑制度を廃止したら、死刑制度を復活させることは、おそらく不可能であると思われるからだ。
だが、現在のこの厳罰化の流れの中で、こんなにも軽々しく死刑が執行されるのを目の当たりにすると、その考えにゆらぎが出てくる。その他にも、状況証拠だけで死刑判決が下されたりする現状をみると、死刑制度に疑問を持つ。

 

今年は本当に色々な事が起こり過ぎて、なんだか思考をまとめている暇がない。

 

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の再犯について、未成年にも厳罰で対応すべきだった、という意見には、私は同意できない。あれは、厳罰化で解決できる事ではなかったと思う。

子供達がノリか格好つけか何かでやり過ぎてしまい、自分達で止める事が出来なかった時に求められるのは、常識ある大人の介入ではないか。確か、あの事件では、女の子は一ヵ月以上監禁されていたと思うが、その間に周囲の大人が適切に介入していれば、少なくとも最悪の事態だけは避ける事が出来たかもしれない。最悪の事態が起きてしまった後に厳罰で対処しても、被害者そして加害者の人生も、破壊されてしまったものは元には戻らない。

 

ネットにまつわる事件についても、我々は今後は適度に介入する必要があるのではなのではないか。規制するのではなく、やり過ぎない様なルールというか規律というか、そういったものを作ることが出来ないものか。それはやってはいけないよ、そうしないとお巡りさんに逮捕されちゃうよ、という感じで。

例えば、煽り行為について、事情聴取ではなく殺人教唆や幇助などで告発するなど。強制的にネット弁慶をやめていただく。そうすることにより、ネット弁慶をご卒業したくない人達にプレッシャーを与えていくことで、ネットから飛び出してしまう、自らネット弁慶をご卒業される人達を出さないようにする。ネット弁慶規制法、いや、規制は反対なのだが、どうにかして秩序を作ることは出来ないものか。無理かな〜。頭のいい人達でなんか考えてくれないかな〜(人任せ〜)

うぇ〜〜いーカメラを止めるなとかファミリーウォーズとか、日本人の若手映画監督の作品、そして入江悠礼讃

なんだか「カメラを止めるな」が、物凄く盛り上がっているようですね。

暑くなってからコンディションが良くなくて、映画を見るペースが落ちていた。特にコンテンツ系の映画は全く見る気がしなかったので、すかしたミニシアター系のさらにすかしたアート系(お恥ずかしい事に一番好きな分野。幻想的な作品が大好き。)を中心に見ていた。ハリウッド映画の、大きい音や過剰な音楽と演出が、全く受け付けなかった。(でもMIPは死ぬ気で見てきた。あれは見逃せない。面白かった。トム・クルーズ最高)

この夏見た映画で一番素晴らしかったのは、遠藤麻衣子の「TECHNOLOGY」。この作品は本当に良かった。まるであの世とこの世がつながるような感覚の作品で、涙が止まらなかった。私は美しい花の物語だと思ったのだが、解説を読んだら、かぐや姫だった。(…「かぐや姫の物語」見たいなぁ。ジブリで一番好きなのはナウシカかぐや姫なんだよな。)遠藤麻衣子監督は、今後チェックしなくちゃならん。アテネフランセとか写美辺りでやってくれそう。

さて、カメ止めです。なんか凄い盛り上がっているけど、よっぴーはほめてるし、監督の父上のFacebookに引いてしまい、完全に見る気を無くしていた。そんな時になんかゲスい盗作話が聞こえてきたので、これは見に行かねば!やはり映画オタクとして流行りものは押さえねば!!と、あわてて見てきた。シネコンではなく、寂れた雰囲気の中で見たかったので、相鉄ムービルにした。(30年以上前からある老舗映画館。横浜駅唯一の映画館で一応109系列でありながら、いつでも会員は1,100円、つまり、いつ行ってもガラガラに空いている。女子トイレなんて、個室20個くらいあるのに、洋式1個よ。あとは全部和式。スクリーンも席数が多くて、客席が段差になってない。昔風の作りの映画館。壊すのにお金がかかるから、設備投資せずにとりあえず営業しているような感じ。)さすがに満席にはなってなかったけど、子供の頃以来見たことないほどの客の入り。いい雰囲気だ。

映画は、面白かった。最後まで見落としがあってはならない!と思わせる展開、そして飽きさせないように細部にまで手を抜かず作られていて、楽しめた。そういうところはプロの仕事なんだけど、低予算映画だからチープな感じがあって、それがまたいい味わいだった。『会いに行けるアイドル』的な映画だったと思う。若い子にはこういう感じが受けるんだなぁ、と思った。

今年は「枝葉のこと」とか「大和(カリフォルニア)」とか、若手監督が作った神奈川県央ローカルの良質な映画が公開されているのだが、どちらも路地裏の物語で孤独や傷に向き合うタイプの作品だった。その閉塞感は、空族のロードサイドの物語にも通じる、渇いた空気だった。(地方の人には神奈川は東京のオマケ的に言われるが、神奈川県って東京とは違うのよ。東京郊外の、一地方都市なのよ。)そういう自己に向き合ったドライで真摯な映画より、ウェットでちょっとええ話の方がうけるんだなぁ。うーむ。

さて、カメ止めと似たような、コンテンツ映画的に作られながら、全くうけるとは思えないのが「ファミリー☆ウォーズ」。感想は、また、馬鹿な映画作りやがって…といった感じ。ものすごいパワーで、呆れるほど馬鹿で、面白かった。

とにかく思い付く限りのアホなネタを、より露悪的に仕上げて、これでもかとぶち込むという…馬鹿じゃない?以外に言う事はないスタイルの映画。ただ、阪元監督の凄いところは、私が今まで見た6本の映画の中で、こんだけアホなネタをこんだけぶち込んできやがりながら、同じ事を繰り返している、という印象は受けないところだ。これ結構凄いと思う。

映画は、若さ故か、少し軽い。人と違う事をしよう、面白いものを作ろう、というあふれるガッツを感じるが、まだネタとして消化しているだけの、コンテンツ映画としての印象が強い。これは役者陣にも言える事だが、アイデアを出して色々試している段階のようだ。欲望でも焦燥でもなんでもいいが、自分の内側から湧き出てくるものではない、頭で考えて作っている印象がある。今、この手の映画を見るコンディションじゃないから、なんか、嫌な映画オタクの感想になっちゃうな〜。

映画オタクとしては、10年、20年スパンで生ぬるく見守りつつ今後に期待、といった感じ。

例えば、入江悠監督は、サイタマノラッパーからチェックしていて、もとから大好きだったけど、「太陽」そして「ビジランテ」で、さらに好きになった。あの2作で化けたなぁ〜と本当に嬉しかった。(ちなみに、ジョーカーゲームは見ていません。)はてなブログで例えると、モビルスーツのぶちょーがJD語りをやめていきなり武闘派に転向したかのような衝撃。よくわからない例えだと思うかもしれないが、それくらいの衝撃。(入江ぶちょーと呼びたいくらい芸風が似ていると思っているのは、私だけか?)確かに、SRにも鬱屈とした暴力性があったが、こんな風に化けるとは思わなかった。今一番期待している、メジャーもいける日本の若手映画監督。(ちなみに、ジョーカーゲームは見ていません。)

阪元監督は、入江監督のような屈折はあまり感じず、非常に素直な印象がある。のびのびと馬鹿な事をしているな〜馬鹿だな〜ホントに馬鹿だな〜いやここまで馬鹿だと逆にすごいな〜、とほのぼのとした気持ちで見守っている。まだ、その暴力性を語るほどではなく、出し切っていない。今しか出来ない事をやり尽くし、その後に何を出してくるのか、それを楽しみにしたい。10年後でも20年後でもいいが、ま、出来たら早目に頼んます。

 

今年のホラー秘宝は、これまでと色々と違うものだった。毎年初日の最終上映回はリバイバル上映で、高橋ヨシキさんと寺沢ホークさんのゆるいトーク付きだったのだが、今年は阪元劇場だった。毎年千葉監督の新作が上映されていたのだが、今年はなかった。そして、毎年千葉監督と平山先生のトークは、映画の話を全くしない平山先生相手に敬語で応対しつつも苛立つ千葉監督を、10数人のおっさんとおばちゃんが生温かく半笑いで見ていたのだが、それも今年はなかった。去年いた人、今年の新しい人。色々なものが、様々に変化していく。生きているってこんな感じなんだな、と思った。夏の終わりはしみじみと、おセンチになってしまうね。

ぎりぎりを攻めるーV.I.Pそれから新しき世界に悪女、そして人魚伝説

先週の20日水曜日に、時間の都合が良かったので適当に「V.I.Pー修羅の獣たち」を見に行ったのだが、凄かった。。色々展開に甘いところもあるのだが、あまりにもパワフル過ぎて、ちょっとした粗など気にならない映画だった。

 

韓国のかなりハードな映画。

北朝鮮の要人の息子である殺人鬼、脱北した彼から情報を得るため犯罪を隠蔽しようとするCIAとCIAに協力する国情院、殺人鬼を追う韓国の警察と脱北してまで殺人鬼を追う元工作員、それぞれの攻防戦を、激しいアクションと容赦ない残虐な描写で描く、クライムアクション。

 

とにかく、すごい残忍で陰惨なシーンがこれでもかと続くので、全く人にすすめる事など出来ないタイプの映画だった。

孤狼の血」も日本映画としてはかなり頑張っていたけど、「V.I.P」に比べると大人しくて、小綺麗な映画に思える。それくらい、振り切っていた。

ただ、あまりの残酷な描写が韓国では非難され、興行的にはイマイチだったらしい。

特に、映画の中で女性の被害者がかなり悲惨な目にあう為、女性をポルノとして消費しているとか、女性蔑視と叩かれたらしい。

(検索して表示された、多分韓流ドラマ系の記事2,3本しかみてないけど。あと、監督のインタビューでも、女性蔑視で叩かれたという話しがあった。)

確かに、被害者は酷たらしい目にあうのだが、私は凄惨な表現というより非常に計算され尽くしたカットに圧倒された。劇場公開の映画でここまでやるか、劇場公開できるのか、というギリギリのところを攻めていた、と思う。人間の残酷さを、映像化し得る限界まで表現していた。

確かに悪趣味だし、やり過ぎと批判されるのもわかる。でも、監督もそんな事は百も承知で、挑戦したのだと思う。

 

この「V.I.P」は「新しき世界」のパク・フンジョン監督の最新作。

ストーリーは圧倒的に「新しき世界」の方が面白かった。犯人の殺人鬼とかちょっとステレオタイプだったし、構成も私の好みを言えばプロローグとエピローグはいらなかったと思う。せっかくあそこまで残酷さの表現にこだわったのだから、映像だけでなく物語もドライにきめた方がよかった。「新しき世界」は少しバタ臭い感じがあって、それがまた良かったんだけど、「V.I.P」にはバタ臭い演出はいらなかった。

 

「新しき世界」は劇場公開時は見逃してしまったのだが、hagexさんがブログで絶賛していたので、ずっと見てみたいなぁ〜と思ってチェックしていた。去年、彩プロの企画で平日昼間に新宿で上映があったので、有り余っている年休取って見に行って来た。すごい面白かった。

 

先日の事件は非常にショックだった。その後の記事やコメントにも酷いものがありショックだった。

hagexさんはたまに映画の記事も書いていて、「人魚伝説」とかを押していた事もあった。「人魚伝説」は「アワビ漁で暮らす新婚夫婦が原発に関わる陰謀に巻き込まれ、夫が殺され、その罪を着せられた妻が復讐する」物語。妻がモリを武器として関係者を襲撃するクライマックスの血の池地獄は、素晴らしい。主演の白都真理の体を張った熱演も素晴らしく、襲われるシーンなんて、ただ白都真理の美しくもセクシーな身体を血まみれにしたいだけなんじゃないのか…というくらい、血まみれの映画。

なんだけど、非常にロマンチックな映画でもあると思う。

年初に公開された韓国映画の「悪女」は、アクションが凄い、という前評判だったので非常に楽しみにしていたのだが、確かにアクションと映像は凄かったのだが、ストーリーが…別にストーリーが破綻しているとかではなく、ただのメロドラマで残念、といった感じだった。

私の中でダメな韓国映画の代表がある。それは「情緒に流された泣き映画」と名付けているのだが、とにかく泣かせようと感情的に訴えかけようとする、安いメロドラマのような映画だ。

「悪女」は、残念ながらそれだった。期待していただけに、非常にガッカリした。

「人魚伝説」は情緒に流されすぎない、叙情的な映画だった。ドライに物語を描きながら、どこか物哀しさがある映画で、私も好きな映画だ。

少しおちゃらけて「人魚伝説」をおしているhagexさんをみて、この人は結構ロマンチストなのかな、と勝手に思っていた。まぁ、映画好きなんて、大体ロマンチストだけどね。

 

もうブログが更新される事はないとわかっているのに、それでもこの一週間ブログをチェックして、その度に現実を突きつけられて、どきりとしている。彼のいない世界を生きているのだ、と酷く動揺する。

私は、ずっと素人の駄文など読む価値なし、と思っていて、ブログなんて興味無かったのだが、BLOGOSの山本一郎さんの記事からHagex-day infoに飛ばされ、素人の駄文の面白さに目覚め、読み漁るようになった。そして、素人の駄文を公開するようになった。とても楽しかった。

hagexさんに感謝を、そしてご冥福をお祈りいたします。

 

EU FILM DAYSに行ってきた。ーラスト センテンス

EU FILM DAYSは、今年は5/26から始まっていたのだが、今日ようやく行ってきた。

毎年、GW明けはなんか疲れが吹き出して、あまり映画を見ないのだが、今年は体調崩した事もあり、更にダラダラしていた。GW明けは15本位しか映画見てないよ。

さて、EU FILM DAYS一本目は「ラスト センテンス」。どんな映画かというと、「中立政策を取るスウェーデンで、1945年に亡くなるまで反ファシズムを訴え続けたジャーナリスト、トーニー セーゲルステットの生涯を描いた映画」との事。

これが抜群に良かった。完全に魂をもっていかれた。

帰りの電車で調べたら、監督のヤン トロエルは2014年の東京ノーザンライツで特集が組まれていた。「ハムスン」と「マリア ラーション」、この2本ともすごく面白かった。

とくに「ハムスン」は、私がもし小町映画ベスト10を選ぶとしたら、間違いなくランクインさせる、私のこれまでの人生で見てきた何千本という映画の中でもトップクラスの小町映画。すごいよ〜

そういえば、「ラスト センテンス」も小町要素てんこ盛りだった。

 

色々書くの面倒くさいので(おい。)一つだけ。

冒頭、そして劇中も何度も繰り返される、川の流れの映像とシベリウスの悲しきワルツ。それを見ていると、頭の中で別の物語が始まってしまう。

私は、映画に集中しすぎると、たまに頭の中で別の物語が始まってしまう。映画がつまらないとか、集中できないとかではなく、面白くて映画に集中しすぎると、たまにそういう事がある。何故か全く関係ない物語が頭の中で始まってしまうのだ。

今日は、悲しきワルツがかかると、頭の中で乱闘というか殺し合いが始まった。

格闘シーンのBGMって、交響曲とか派手だけど、あの静かな悲しきワルツで、結構派手なアクションだった。イメージとしては、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の火事のシーン。

誰かそんな感じの映画作ってくんないかな。

 

「ラスト センテンス」は、本当に素晴らしい映画だった。血は一滴も流れないし、残酷な表現は一つもありません。幽霊はちょっと出てくる。そして、小町度数高めです。

 

逃げる。ーフロリダ プロジェクト、ヘンリー フール トリロジー、あもーる あもれいら とか

6/1金曜日の映画の日は「フロリダ プロジェクト」を見てきた。

先週はヘンリー フール トリロジーをずっと見ていたので(ポスターもろた。)、映画を見終わってから、あぁ、今週は"逃げる"映画の週だったなぁ、と思った。4本とも見ている人にはご理解いただけるはず。

 

フロリダ プロジェクトは、サブプライムローン後の貧困層の子供たちが主役の物語である。

主人公の少女・ムーニーはディズニーランドの近くのモーテルで母親と暮らしている女の子だ。家は無く、母親は定職についておらず、ボランティアが配布するパンや友達のお母さんのおすそ分けで日々の糧を得ているような状況だ。モーテルには、同じように住み着いている人達が沢山いる。彼らは人種も境遇も様々だが、共通点は明日の生活費にも事欠くような貧しさにある。そんな、モーテルでの生活を、子供達の視点から描いた作品だ。

 

映画を見ていて、一番強く連想したのが、岡村淳監督の「あもーる あもれいら」だ。岡村監督は、ブラジルに移住してドキュメンタリー映画を撮っていて、たまに日本に帰国して上映会をやってくれる。(このところ、見逃してしまってばかり…)「あもーる あもれいら」は、ブラジルの貧しい家庭の子供達が通うキリスト教の保育園の1年間を追った3部作のドキュメンタリーである。(初めて見た時は第2部までしか出来てなくて、完結編を見る事は出来るのか?と思っていたけど、無事見る事が出来た。あれは何年前だ?)

「フロリダ プロジェクト」の方が、より悲惨なある出来事を描いているのだが、「あもーる あもれいら」の方がキツい現実だ。リアルなのだから当たり前かもしれないが、どんなに天才的に演技が上手くても、現実の重みには及ばない。残念ながら。

「あもーる あもれいら」で一番印象に残っているのが、聖書の一句を子供達がそれぞれ暗唱する発表会?の時のシスターの言葉。「あの子達は日常で非常に汚い言葉に触れている。一瞬でもいいから、清らかな言葉に触れさせてあげたい。」確かこんな感じだったと思う。

色々な子供や、親達が映画には登場するのだが、その中でティーンエイジャーの母親が出てくる。離婚したシングルマザーで、子供が確か2,3人いたと思う。その母親の言葉の乱暴さは凄かった。字幕でアレなのだから、本当はもっと酷いのだろう。そんなのを見ると、シスターの言葉の重み、思いに胸が痛くなった。

 

「フロリダ プロジェクト」を見ながら、やはりそこを連想した。

ハリーは娘のムーニーにとって愛情に溢れた母親かもしれない。2人は非常に強い絆で結ばれており、幸せそうだ。

しかし、ハリーは自堕落で、社会的に正しい振る舞いをすることが出来ない人間としても描かれている。ムーニーも、大人を小馬鹿にした、恐らく常識的な人間を非常に苛立たせる行動をする。それは、母親のハリーとそっくりな行為だ。2人の行動は、2人の間で繰り返される。

汚い言葉や愚かな行為が親子の間で反復されるのだ。そこには、暗澹たる未来しか想像する事が出来ない。

児童福祉局(だっけ?)の介入は、当然の結末であり、ハリーはムーニーを手放したくはないが、心のどこかでは、それを予想し、ムーニーの為にそれを望んでいたのではないか。

そしてラスト、まさかのムーニーの親友のジャンシーの大活躍。

児童福祉局から逃げてきて、ただ泣きじゃくるムーニーを前に、難しい顔をするジャンシー。ムーニーもこの結末を予想していたのだろうが、それでも、言葉に出来ない思いに泣きじゃくっていると、ジャンシーは何も言わず、何も聞かず、ムーニーの手を引いて逃げ出すのだ。

私は、それまで忘れていたのだが、そういえば映画の最初の方で、ジャンシーのおばあちゃんが、「娘が15才で子供を産んだのだが、子育てなんて出来ないから私が育てている。」って言っていたんだよ。おばあちゃんに育てられたジャンシーは、常識的な振る舞いをする事が出来る。チビっ子ギャング ムーニーの後ろを追いかけているだけの、ボンヤリした子だと思っていた。しかし、ジャンシーも母親を取り上げられた子供だったのだ。多分、それが一番正しかったのだろうが、それでも、きっとそれは耐え難い事だったのだ。

何から逃げているのか、どこに向かって逃げているのか、それはわからない。ただ、ここではない何処かへ逃げて行こうとする、逃げ出さずにはいられなかった2人の子供の、その逃避行の背景が楽しい夢の国ディズニーランドなだけに、とても哀れだった。

しかし、2人の小さな背中は、大人達の都合で翻弄される彼らの運命に抗うように、そして私の勝手な哀れみなど弾き飛ばすかのように、真っ直ぐで自信に満ちたものだった。

自己を肯定する事に根拠など必要ない、ただ生まれて、そして真っ直ぐに生きていくのだということを強く感じた。

いい映画だった。

 

それに比べて、ヘンリー フールのダメな事、ダメな事。おっさん、逃げて逃げて一体何処に行こうとしているんだ、って感じだった。それにしても、1と2の落差が凄かった。え、いきなりスパイ?というあの展開。なんじゃ、ありゃ?愉快すぎる。

とにかく面白くて、夢中でアップリンクに通ったら、ポイントたまって、ポスターもろた。ありがとうございました。

私だったら…ーレディ プレイヤー ワン

今日、レディ プレイヤー ワンを見てきた。凄い面白かった。本当にあっという間の2時間半。

GW明けから体調崩していて、気管支炎症起こしてセキが止まらず、夜ロクに眠れず…というのをぐるぐる繰り返していたが、ようやく炎症がおさまってきた。久しぶりに、割合いいコンディションで映画を見る事が出来た。そこでいきなりこんな当たりくじを引いて、大興奮です。

あらすじ書くの苦手なので(面倒くさい…)サクッと終わらせると、仮想空間のOASISで繰り広げられる愛と友情と冒険の物語です。(大体あってる。断言。)

 

ネットでは、まだ、wikiと劇中使用曲しか見てないのだが、wikiに「ショウは原作では日本人だが、人種が偏るのでスピルバーグが中国人に変更。」ってあった。なんで、なんでなのー、なんでなのよー、なんで中国人なのにニンジャなのよー、8,90年代で中国っていったらジャッキー チェンじゃないの〜〜⁉︎デブゴンでもいいじゃん!!生きてるとダメなの?じゃあ、ブルース リーでいいじゃんよ!!マジでどういう事なのよ。勘弁してよ。なんでニンジャなのよ。これ、とっても大事な事なので、誰か説明して。人種的多様性とかどうでもいいから、なんでジャッキーじゃないのか、誰か説明して〜〜私には理解できないアルよ〜〜

 

さて、私がもしも、OASISでプレイするとしたら、どんなアバターを選ぶか、どんなコスプレをするか、映画を見ながら考えていた。(みんな考えるよね?)

一番最初に思いついたのは、コンドルのジョー。格好いい〜〜

あと、「俺はガンダムで行く」でなんか五右衛門を連想しちゃったので、次元。格好いい〜〜

でも、男性のコスプレはちょっと恥ずかしい…うーむ…と思って、最後に思いついたのが、アバターJ.Loみたいなセクシーなラティーナで、服装がターミネーターシュワルツェネッガー!!いい〜〜

と、いう訳で、私はOASISでプレイするとしたら、「ターミネーターシュワルツェネッガーのコスプレをしたJ.Lo」にしようと思います!セクシー&強そ〜〜

 

とにかく、ものすごく単純にただ映画を楽しんだ。ちょっと引っかかるとかそういうのがなく、ただ楽しむ事が出来た。

そう、この映画は非常に単純でストレートな映画だった。だから、素直に楽しむ事が出来た。さすが、スピルバーグ

実は「リメンバー ミー」の感想を書きかけなのだが、沢山の人達による計算され尽くしたあの映画と同じくらいのレベルで、平等で愛に満ちた「レディ プレイヤー ワン」の世界を作り上げるスピルバーグって、やっぱり凄い。(非常に優秀なスタッフがいるにしてもね。)

 

いけない、パーシバルの車にもの凄くテンションが上がった事を、書き忘れた。

車は全然興味ないし、BTTFも普通に大好きくらいなんだけど、ガルウィングは本当に大好き。

映画始まって、あの車でレースに勝って、もううわーってテンション上がって、最後までそのまま持っていかれた。

やっぱ、スピルバーグ、凄い。

 

追記

ロボットだったら、ザブングル!と主張するのを忘れた。

朝っぱらから、こんなアホな事言ってるヒマないのにぃ〜〜でも、これ、この主張は非常に大事なことなので。

私だったら、ザブングルに決めますよ、ええ。

爆音映画祭に行ってきたーシング ストリート、それから、はじまりの歌

念願の爆音の「シング ストリート」を見る事が出来た。新宿では、どうしても時間が取れなくて見逃したので、ようやく見る事が出来た。「はじまりの歌」は劇場公開時は見逃したので、今回が初めて。

 

「シング ストリート」は、大好きなシーンがある。オタクには、かなり泣けるシーンだと思う。

私は、映画を見て本当によく泣く。下手すると予告を見ながらうるっとしているくらい。だから、泣かせにくる映画が大嫌いだ。安い演出がわかっているのに、生理現象で泣いてしまうから。でも、マジ泣きする映画は、本当に心を動かされる映画は、大好き。

「シング ストリート」にはそんな、本当に心を動かすシーンがあった。

ただのボーイ ミーツ ガールではなく、素晴らしい青春映画だと思う。

 

物語は主人公のコナーが家庭の事情(金銭的な)で高校が転校となるところからはじまる。

不仲な両親(母親の不倫)、不本意な転校(私立から公立高校へ)、経済的に余裕のない家庭(父の失業)、兄は大学中退後引きこもり(だけど、コナーの一番の理解者であり、ロックの師匠。)問題は山積み。

転校先はカソリックの公立校で、厳格な校長や乱暴な同級生に目を付けられてしまい、不穏な始まり方をする。

しかし、学校の前でたたずむ魅力的なラフィーナを口説く為に咄嗟に口をついた嘘「僕達はバンドをやっていて、今度ビデオを撮影する。モデルとして出演して欲しい。」を実現する為、バンドをつくり、曲を作り、友達が出来て、コナーは変わっていく。

そして、映画的には中盤の山場くらいかもしれないが、私的にはこの映画の最高の見せ場、アメリカのプロムをモチーフにしたMVを撮影するシーン。

MVは、高校の体育館で撮影をする。

コナーの目の前にあるのは、MVに出演するエキストラのクソダサい同級生達と、冴えない自分達、しみったれた体育館。コナーの心の内の憂鬱は、ついに別居となった両親、尊敬しているが心配もしている兄。

しかし、美しいラフィーナさえいれば、そんなくすんだつまらない現実も乗り切る事が出来るのだ。

コナーはラフィーナが現れ、いつものように自分のこのしょっぱい現実を忘れさせてくれる事を待つ。

しかし、ラフィーナは来ない。

みんなは、体育館で撮影出来る時間には限りがある、ラフィーナは来ないから撮影を始めよう、と言う。

ラフィーナは、来ない。

ラフィーナには、車を持っている年上の恋人がいて、2人でロンドンに行く約束をしている事を、コナーは知っている。しかし、コナーはお構い無しにラフィーナに恋していた。なんだか、最近いい雰囲気でいけるんじゃないか、と思っていた。

だけど、ラフィーナは来ない。

ついに撮影がはじまる。

そして、ラフィーナは来ないのだ、とコナーが受け入れた瞬間に、世界は変わるのだ。

それまでは、バンドに打ち込む事で辛い現実から逃げる事が出来たし、なにより美しいラフィーナが様々なインスピレーションを与えてくれた。

しかし、ラフィーナは来ない。

だから、その事を理解した瞬間に、コナーは自らの想像力で、自らの想像力だけで、くすんだ冴えない現実を、鮮やかな世界へと変化させるのだ。

まじ泣きします、あのシーン。

妄想ではなく、空想。

ただ想像力だけで世界を作り変えるのだ。

ラフィーナ(幻想)が現れる瞬間、だーっと涙がこぼれたよ。

友達沢山いて、素敵な恋人がいて、ウェ〜〜イな青春をお過ごしになった皆々様におかれましては、私が何を言っているのか理解し難いと思いますが、あのシーンはぼっちのオタク泣かせ。

その後、本番のプロムでのライブは、大いに盛り上がり大成功する。そこでは、本当に盛り上がっている沢山の観客がいて、反逆精神あふれるロックなパフォーマンスがあり、そして本物のラフィーナがくるのだ。そこには空想はなく、希望通り上手くいかなくても、それでも魅力的な現実があるのだ。(これが、この映画の本当の山場。)

 

それにしても、爆音上映の不思議なところって、非常に強く感情を揺さぶられるのだよな。あれはなんなんだろうか。初爆音からずっと考えているのだが、不思議だ。これについては、また書こう。

とにかく、爆音シングストリート、最高だった。通常上映より当者比1.5倍くらい泣いた。

「はじまりの歌」も、いい映画だった。こちらは、大人のための現代のおとぎ話。ゆっくり、じっくり楽しみたい作品だった。