いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

うつくしいせかいー『君の名は』と『この世界の片隅に』

私は、自分がターゲットから外れているな、と思う映画は見ない事にしている。自分ゾーニングである。

しかし、流行り物は一応押さえておこう、とも思っている。みんながいいと言っているものに違和感を感じたら、そのズレが何処にあるか考える為だ。

 

なんだか『君の名は』がえらいヒットだという事なので、年が明けてから『この世界の片隅に』とアニメ2本立てにして見てきた。

『君の名は』は明らかに自分がターゲットから外れていると思われるが、そんなにヒットしているなら一応見ておいた方がいいか、と思ったのだ。年が明けてからならファンの熱狂も落ち着いているんじゃないか、と思ったのもある。

客の入りは半分くらいだった。想像していたより席が埋まっていたので、少々ビビった。

映画が始まって、丹念に描かれている絵に感動する。凄い綺麗だった。だが、やはり、物語には全く乗る事が出来なかった。

大体、私は少女漫画がよくわからないし、連ドラとか面白さが全く不明だったし、少年漫画誌恋愛漫画枠の存在がさっぱり理解出来なかった人間なのだ。

私には向いていない映画だった。もう少し火薬の使用量が多ければ、あるいは娯楽作として消化出来たかもしれないが、色々と物足りなかった。

しかし、この映画が好きだという人がいるのは理解出来る。美しい映画である事は間違いないと思う。それは、映像だけでなく、美しい感情のみをすくい取った物語だからだ。そういう物語が好きな人は沢山いる。

私が思い付く物語なんぞ、隕石が落下した事により未知のウイルスに感染、人類がゾンビ化→過去と夢でつながった主人公が頑張ってそれを阻止、とかそんな話しか思い付かね〜わ。

これは、それまでの人生経験とかは関係なく、その人間の嗜好の問題であると思う。なにを好ましいと思うか、面白いと思うか。勿論、人生経験によって影響を受けるところもあるだろう。でも、それだけではない。

この映画は女性にも好きな人はいるかもしれないか、基本的に男性向けの漫画だと思う。私が一番それを強く感じたのは、女体化とか巫女さんではなく、奥寺先輩だ。みんなに人気の年上の格好いい女性が何故かさえない主人公に好意をよせる、というやつだ。普通ないわ、そんなの。

やはり、私はこの映画のターゲット外だ。こんな感想で申し訳ない。

 

では、『この世界の片隅に』 がどうだったかというと、非常にいい映画だったと思う。丹念に描かれた物語が、心に染みる映画だった。

生活の描写などは本当に見事で、食べ物の工夫などはとても面白かった。着物を二部式のモンペに仕立て直すところで、けんちょうきで一生懸命チクチク縫っていたり、「お古だけど、モスリン(聞こえなかった。違うかも。人絹かな?)が入ってないの。純綿よ。」と言ってはしゃいでいるところも可愛かった。

しかし、これもイマイチ乗り切れなかった。なぜなら、私はドジっ子が生理的に受け付けないのだ。

映画に没頭しかけると、ドジっ子を見て我に帰る、ということを繰り返した。

ケチのつけようのないあの映画に、よくもそんなつまらないケチを付けるな、と自分でも呆れるが、ドジっ子はムリ。

お義姉さんがすずさんにイラつくのも無理は無いと思う。

お義姉さんは自分で仕事を見つけて、旦那さんと出会い結婚をして子供を作り、旦那さんと一緒にお店を切り盛りしてきた。努力をして、一生懸命に、主体的に生きてきた。しかし、戦争によって全て失ってしまう。

そんな時に目の前であんなのがフワフワしていたら、それはイラっとするだろう。ただひとつ手元に残った幼い娘まで奪われたら、それは「お前が死ねば良かった」と言いたくもなるだろう。

ただ、お義姉さんもすずさんも善い人間だから、人を傷つけたりする事を望まない真っ当な人間だから、傷つきながらもお互いを思いやり懸命に生きている姿に胸をうたれる。

 最後に、広島からすずさんについて来た少女に、お義姉さんが晴美ちゃんの洋服を出してあげるシーンは、泣いた。とてもいいシーンだった。

いい映画だったと思う。でも、すいません。ドジっ子はムリです。こんな感想で申し訳ない。

 

2本の映画に共通しているのは、悪人が出てこない事。普段、悪人がワサワサ出て来る映画ばかりみているので、最後のどんでん返しを警戒したが、勿論そんなものはなかった。

でも、2本の映画は全く違うものだった。

『君の名は』は悪人のいないパラダイスの物語だった。だから、美しい。

この世界の片隅に』は悪人は出てこないが、胸がつぶれるほどの悪意に囲まれた世界の物語だった。しかし、奇跡的に美しい。

どちらも、丁寧に作られたよく出来た映画であったと思う。それぞれの作品を愛してやまない人達が、絶賛するのも当然の映画だった。

 

 

 

 

スターウォーズ ローグ・ワンをみた。面白かった。ー映画オタクの感想

年末にみた。面白かった。

スターウォーズにはそれ程思い入れは無く(基本的にシリーズものにそんなに思い入れが無い。作品の面白さ重視。)前回の『フォースの覚醒』は、まぁ、流行り物は押さえておこう位の気持ちで見て、そこそこ楽しんだ。

この、ローグ・ワンはちょっと私的にキャスティングが凄過ぎて、そういう意味で物凄く楽しみにしていた。

 

まず、ディエゴ・ルナ。メキシコ。

『ルドandクルシ』はクルシよりルド、ガエル・ガルシア・ベルナルよりディエゴが好き。ガエル・ガルシア・ベルナルは目にお星様がキラキラしているようなラテンのイケメンだが、私は目が死んでいるイケメンのディエゴ・ルナが大好き。

映画始まったら、ディエゴはスパイのようだった。最高だ。キャスティングの人の仕事が素晴らしい。

そしてキチガイをやらせたら抜群のベン・メンデルスゾーン‼︎オーストラリア。

この人、ほんの4,5年前まで日本語のwikiなかったんだけど‼︎英語版しかなかったんだけど‼︎‼︎ハリウッドの、スターウォーズ出演だと‼︎大興奮した。

そして役柄が、なんかのちょーかんのようだが、その溢れ出る下っ端感が絶妙。キチガイ度数は控えめで、いつもの「10日位水浴びしていません」といった感じもなかったが、しかし、やっぱりなんかおかしい人だった。

ベン・メンデルスゾーンは日本でたとえると、リリー・フランキーキチガイだけどもてそう、というキャラではなく、水澤紳吾の気持ち悪いキチガイでもてなさそう、という感じの人。水澤紳吾も、SRのトムさんではなく『ぼっちゃん』や『狂人日記』の方。

そして、ドニー・イェンチアン・ウェン。香港、中国。

つまらない役だったらどうしよう…とおびえていたらちゃんと見せ場あり。(『フォースの覚醒』のマッドドッグの悪夢再びか、と本気でおびえていた。チラッと出て、はい、終わりだった。アレはヒドイ。)狂言回し的な役柄だが、ドニーさんはやっぱりマーベラスだし、チアン・ウェンの死を覚悟した瞬間のあの表情、あのカット、いい男すぎる。(イケメンではない。)

そして、さすがの存在感のマッツ・ミケルセンデンマーク

あと、会議のシーンでチョロっとファレス・ファレスが出ていてたまげた。この人アラブ系スウェーデン人。

未体験ゾーンで毎年特捜部Qを楽しみにしている。

 

ハリウッド映画を見ていて、本当に凄いな、と思うのは、キャストについてだったりする。『ワールド・ウォーZ』でもピエルフランチェスコ・ファヴィーノ(伊)とモーリッツ・ブライプトロイ(独)が研究所の職員でチラッと出た時は驚いたが、各国でトップクラスの役者が本当にチョロっと出てくる事がある。

アメリカなんて、そこいら中に○○系なんているだろうから、そういう人使った方が安上がりだろう。しかし、そうではなく○○人が演じるから、各国の研究者が集まった研究所ぽいし、ローグ・ワンの連合軍的な雰囲気が盛り上がる。

勿論、各国の役者が出る事でその国での興収が…というのが一番の目的だろうが、その結果にオタク大喜びなのだ。

 

後半の戦争シーンは、勿論良かった。

しかし、私としては好きな役者がハリウッド超大作で活躍する、というところに一番ヒィヒィしてしまった。

面白かった。

 

 

 

2016年一番の映画

2016年もまた、素晴らしい映画をたくさん見る事が出来た。

良かった映画について全てにコメントをつけようとすると、結局ひとつもコメント出来ない事になるので、とりあえず、とびきり良かった映画のみあげる。

『光りの墓』、次点で『ホースマネー』。

2016年はアピチャッポン・イヤーといってもいいような年で、写美の個展や特集上映、展覧会での展示など盛り沢山の企画の中、この新作映画は格別だった。

非常に説明しずらい映画だが、とにかく豊かなイメージに圧倒される。夢か現か判然としない、ちょっと向こうそのまた向こうの世界を描いた作品だった。まるで目を開けたまま見ている夢のようで、私の視界には入らないが存在している世界ー曲がり角の向こう、扉の閉まったエレベーター、トンネルの外ーそんな、確かに存在するけれども私の視界に入らない不確かな風景が描かれている。驚きに満ちた作品だった。
そもそも物語のはじまりの『原因不明の眠り病の兵士達』というものからして、なんとも不思議なものだ。それを看病する女達の中にも、人の夢を読む事が出来る女がいたり、兵士達の眠り病について語る女達は既に死んだ姫君達であったりする。

これまで6本くらいアピチャッポン監督の作品を見ているが、どれも夢と現実の境界が曖昧だ。いくつかのエピソードが断片的に語られるのだが、生と死、眠りと覚醒が非常に曖昧で、死者と生者が語らい、眠り夢を見ているのか、覚醒して夢を見ているのか判然としない。

夢に傾き過ぎれば空想の度合いが大きくなり、現に傾き過ぎれば妄想の度合いが大きくなる。その間で、どちらにも傾き過ぎない、幻想的な世界を描く、ありそうで無い幻想怪奇映画を作ってくれる大好きな監督である。

写美の個展の一番はじめに展示されていた窓のビデオは、何年か前にやはり写美で見た作品だが、私はアピチャッポンの映画を見るたびにいつも連想してもう一度見たいと思っていた作品だった。何故かというのは、正直よくわからない。ただ、ビデオ作品の窓越しの視線や光の質感が、アピチャッポンの世界のはじまりの地点のように思えるのだ。

私にとって2016年は、アピチャッポン作品を堪能する事の出来た良き一年となった。

 

もう2016年が終わってしまった!2017年が始まってしまった‼︎

こんな事を言ってばかりいるような気がするが、もう1年が終わってしまった。あっという間だった。

歳の近い人とはそんな話ばかりしており、「歳とると本当に1年があっという間ですね〜」と笑っていたが、驚くほどはやかった。

しかし、手帳を開いて2016年に映画館で鑑賞した映画の数を数えて驚いた。

348本だった…

アホか、と思った。仕事もそこそこ忙しかったのに、よく見たものだと呆れた。

そりゃぁ、ただの趣味にそんなに時間を使っていたら、1年があっという間に終わってしまうはずだ。

しかし、それでも見逃した映画があるのが驚きだ。

 なんで、『ダゲレオタイプの女』を見逃したのか…348本見ているのに…真性のアホだ…

 

そういえば、今年は美術展をあまりみていない。

さすがに大好きなカラヴァッジョ、ダリはおさえた。新しい発見としては、モランディとトマス・ルス。この2つは非常に好みだった。あとは20くらいしか鑑賞していないのではないだろうか?

少ない。

 

とりあえず、2017年は映画の鑑賞本数をしぼってアウトプットを増やしたい。

 

 

2016上半期 映画まとめ⑴

ブログを書くのは難しいです。

毎日更新など夢のようです。「面倒臭い」という気持ちに負け続けています。

とにかく、上半期を総括して週一更新くらいのペースを…と思っていましたが、もう8月!!です。

なんでもいいからとにかく書こう!と思った次第です。

 

2016年1月〜6月で鑑賞した映画は全部で160本でした。新作、旧作、特集上映様々です。ベストは新作のみから選びました。

会社用ベスト(余り映画に興味がない人や映画をカジュアルに楽しんでいる人によかった映画は?と聞かれた時に答える映画です。メジャーな映画のみ。)

クリード』とにかく最高でした。こんなに素晴らしい続編はない、大満足です。非常に才能がある監督で、映画としてもいい出来だったと思います。

クリード2』の予定もあるけれどもクーグラー監督の予定があわない為別の監督で、という話を読んだので次作は見ないかなと思っていました。しかし、あるトークショーで「次作は中国資本で中国人ボクサーが出てきたりして。」という話を聞いて、それってカンフーサイボーグ!と1人盛り上がってしまいました。…ロッキー4好きなんです。バカ映画とわかっていますが、好きなんです。次作、VSカンフーサイボーグなら見にいくかもしれないと思いました。

サウルの息子』若干マイナーかもしれませんが、アカデミー賞の外国語部門受賞したので。

ホロコーストのゾンダーコマンドの映画です。ナチ映画にありがちな悪を告発するというスタイルではありません。

全体を俯瞰する映像はほとんど無く、非常に狭い視野の混乱したまとまりの無い(ように作られた)映像が続きます。死体の描写はまるで記号のようでした。それはおそらく正気を失いかけている主人公のサウルの視点の映像で、その映像から行間を読み解くという、映画の醍醐味を味わう事が出来る映画でした。見応えがあります。

『ルーム』非常に強く「生きる」という意思を感じさせる映画でした。こういう映画、好きです。『オデッセイ』も同じく生きる、生きのびるという意思を強く感じる映画でしたが、どちらかというとサバイブするという感じでした。『ルーム』の方も監禁状態からのサバイブする物語なのですが、もっと深く生きることを見つめた映画であったと思います。

生きのびる為に自分が出来るベストを尽くす、という姿勢が心を打ちます。救出される瞬間、世界が広がる瞬間、しかし世界は優しくはなく打ちのめされる瞬間。それでも生きるという選択。素晴らしい再生の物語でした。

『スポットライト』聖職者による児童への性的虐待という、非常にショックの大きい、痛ましい事件の映画です。心の拠り所となるべき信仰に裏切られ心に大きな傷を負った子供達。そして、その事実を知りながら隠蔽した大人達。この映画は被害者の救済を描く物語ではなく、子供達を守るべき大人達の犯罪そして裏切りを暴いていく物語です。

救いはありませんが、自分の仕事に信念を持つ人間達の、正義を追求し正義を問いかけてくる映画でした。

本を購入しましたが未読了。早く読まなくてはいけない…

『帰ってきたヒトラー』笑えるけれども後で怖いというホラー映画のような作品。始まりはコミカルなのですが、あれ?あれれ??という引っかかるシーンを挿入して段々と不穏な雰囲気になっていくというホラー映画の定番。いえ、ホラー映画ではないんです。人間の大衆心理の怖いところをみせる映画です。

最後の方でヒトラーを告発するお婆さんの声に耳を傾ける事が出来る人間になりたいと思いました。

 

上半期の失敗。

会社でエクスペンタブルズの話が出来る唯一の人(しかし彼女は旦那さんと仲良く見に行くのだ。そこが私と大違い。)に「なにか面白い映画はありますか?」と聞かれた時に、調度会社用オススメ映画を準備していなかったので、思わずマジで「マジカルガール面白かったです。」と言ってしまった事。その後すぐに我に返って「この映画はスペイン映画で少しマイナーです。話が悪い方へ悪い方へ転がっていくので、週末の楽しいひと時向きではないかなぁ〜」とフォローしたところ、明るい映画が見たいなぁ〜と言っていたので別の映画を見るかなと安心しました。しかし、週明けに「マジカルガール見ました。」との事。ひぃあぁぁ〜「見終わったら旦那さんが気分が悪そうで、お茶でも飲んで行く?って聞いたら一刻も早く家に帰りたい…と言われました。」くわぁぁぁ〜「すみません、痛そうだって言うの忘れてました。」と言ったら笑われました。

常にどこから聞かれても問題が無いように、会社用オススメ映画は準備しておこうと思いました。

ちなみに夏休み前にこのご夫婦にオススメしたのは『シン・ゴジラ』と『FAKE』です。これなら大丈夫。そして『シン・ゴジラ』はとても面白かった模様。

 

行って帰ってくるだけの物語に何故こんなにも熱狂するのか ー マッドマックス 怒りのデスロード それから、ゾンビ マックス

マッド マックスは昨年6月頃の公開だったので、初見から約一年たちましたが、まだあの興奮は抜けません。
正直、マッドマックスにそんなに思い入れはありませんでした。マッドマックスは子供にはハードすぎました。『ナイトライダー』の方が(お星様になった方ではなく騎士様の方です。)キットがおしゃべりして可愛かった記憶があります。
そんな訳で、映画を見る前に私が考えていたのは「ダークナイトの悪夢の再現で、トム・ハーディがあの変なマスクを映画の間中ずっとつけたままだったらどうしよう…変なマスクはサクッとはずしてイケメン全開で活躍してほしい…」だけだったのです。本当にそれだけが心配でした。
映画を見て、トム・ハーディはサクッとマスクを外してくれたので、本当にホッとしました。

核戦争後の資源が枯渇した近未来、生き延びた人間達は残された資源を奪い合い、荒廃した世界で生きていました。そんな中、イモータン・ジョーが統治する砦では、ジョーは水や資源を独占している独裁者であるにも関わらず、神のように怖れ敬われていました。人々は疑問を持たず、もしくはなにも考えず、妄信し、ただ群がるだけです。人の言う事を鵜呑みにして思考停止になり、自分では何も責任をとらず、ただ待ち続けるだけの人々。そして何も考えず、ただ争い戦うだけのウォーボーイズ達。
そんな中から、フュリオサは、女達は自分の道を自分で選び切り開こうと立ち上がります。それは自分の人生を生きる事でもあります。
そしてそこに異分子として、「ジョー?何それ?」といったマックスが飛び込み搔き回します。
そして、車がガーってなって、どっか〜んってなって…という映画でした。多分。

何故そうなのか、どんな世界なのか、どんな人達なのか、ほとんど説明のない映画でした。セリフも必要最低限しかありません。
でも、映画をみていると、わかるのです。物凄く丁寧に作り込んだ画面や車や服装やメイクから、必要な情報は全て得る事が出来るのです。
とにかく常に追いかけっこをしているか、車が走っているか、銃を撃っているか、車が転がっているか、銃を乱射しているか、爆発しているか、ギター弾いているだけなのですが、全く無駄なシーンがなく、それなのに不思議なことに詰め込み過ぎという事もないのです。ものすごい情報量なのに無駄が全くない、凄い映画です。

物語について、フェミニズム的にみたり色々な見方があるようですが、優れた作品というものはいくつもの見方が出来るものであり、そういった意味でも素晴らしい作品だったと思います。
ただ、私は、監督が一番撮りたかったのは、やはり車がガーって走っていく映画だったと思うのです。でも、それだけでは企画通らないから、今時流行りの要素を入れたのかなと思ってしまいます。
勿論、監督が日頃から興味を持っているテーマだったのだろうとは思います。日頃から意識していないと、女性の描写などはただポジティブで押しが強いだけのステレオタイプなものになってしまい、この映画のしっかりと自立した人間としての描写にはならなかったと思います。エネルギー、水、エコについても、背景として出てくるだけにも関わらず、非常に丁寧に描写されてしました。
それでもやはりこの映画は、狂った車の物語だったと思うのです。

世界観やキャラクターが非常に作りこまれており、きっと監督はいつかこの映画を撮りたいと思って、長年物語を温めていたのだろうな、と思いました。そして、いつかまた新作を見たいと妄想していたファンと最高に幸福な邂逅を果たしたのだろうな、と思いました。

余談ですが、今年の未体験ゾーンの映画たちでは、チラシを見た瞬間に「絶対見よう!」と思い、あらすじもなにも読まずに楽しみにしていたのが『ゾンビマックス 怒りのデス・ゾンビ』でした。どんなに、どんなにアホな映画かとワクワクして見に行ったら、期待通りのアホ映画で大満足しました。若干展開に無理がありましたが許容範囲、というかあの低予算感あふれる映画で、しかもゾンビネタでよくぞあそこまでまとめあげた、と思いました。邦題がアレなので便乗クソ映画の恐れもありましたが、原題は全く違うので、邦題は駄洒落好きのおっさんがつけたのでしょうか?まぎらわしいですが、気持ちはわかるといった感じです。
流星が地球に降り注いだ後一夜で何故か人類ゾンビ化→RH-型だけ何故かゾンビ化しない→化石燃料が何故か使えなくなる。→ゾンビが吐き出すガスが何故か燃料になる→ゾンビを車につないで爆走。
…まぁ、マックスって言いたくなる事もあるかもしれませんね。
さらに、RH-型以外にも何故か助かった人達がいる→組織化してRH-型を何故か捕まえてマッドサイエンティストが出てきて人体実験→人体実験の結果、主人公の妹が何故かネクロマンサー化してゾンビを操る、という展開。そしてラストに何故かイケメンのタイマン。全て一切説明ナシの潔さ、最高です。
ダメな作品って何故か解説したがるのですが、あれは最悪だと思っています。本当にシラけるのであれだけは勘弁していただきたいものです。
そういえば、ニュークス君も以前超イケメンのゾンビをやっていまして、『ウォームボディズ』といいますが、これも面白かったです。ちょっと私のストライクゾーンはハズレているのですが、しかしイケメン、これからの活躍も期待したいです。

そんなこんなで、マッド マックスはいらん解説もウザい説教もない、誠に最高な映画でございました。
時間があったら、立川の爆音でもう一度見ておきたいと思います。



美しい映画でした。ー『キャロル』

しばらくアカデミー賞がらみの感想を書こうと思います。たまに見逃す映画がありますが、大体の作品は見ています。3ヶ月で約80本の映画を見ているにもかかわらず、何故見逃す映画があるのか自分でも不思議です。話題の作品はなるべく見るようにしているのですが、劇場公開時に気分が乗らないと、私のようなTVを持っていない人間には致命的なのです。

『キャロル』は当初そんなに見たいと思っていませんでした。映画の上映時間が調度良かったので(『ヘイトフル・エイト』の前の時間つぶし。)なんとなく見に行っただけなのですが、本当に見に行って良かったです。
美しく抑制の効いた作品で、非常に好みのタイプの映画でした。

デパートで売り子の仕事をしているテレーズは、ある日、娘のクリスマスプレゼントを買う為に来店したお金持ちの奥方であるキャロルと出会い一目で惹かれ合う…というアホみたいな始まり方をするのですが、これが非常に美しく説得力のある描かれ方でした。
全体に粒子の粗い映像が、曇りガラスごしに見ているような印象でした。実際にガラス越しに眺めている場面が多かったように思います。それは、キャロルは抑圧された状態から自由な外の世界を眺めているようであり、テレーズは未知の世界に憧れながらも一歩を踏み出す事が出来ないためらいのようでもありました。
花曇りのようなはっきりしない雰囲気の中、キャロルのエレガントな美しさだけはくっきり描かれていました。テレーズが惹きつけられる様子が非常に鮮明でした。常に美しいキャロルが中心にあり、自分をはっきりと主張する事が出来ないぼんやりとしたテレーズが、やがて自分の望みを自覚しその為に傷付いてもあきらめず、一歩踏み出して強く変化していきます。

キャロルの美しさは完璧ですがひどく硬質で、微笑んでいても底が見えない、良く言えばミステリアス悪く言えば人を拒絶しているように見えます。それは、離婚調停中の決して自分の有り様を認めようとしない夫や、決して自らのセクシャリティを認めようとせず(最愛の一人娘を奪おうとする)世間の常識などに対しての頑なさからくるものだったのかもしれません。
2人はーキャロルは確信を持って、テレーズは戸惑いながらー距離を縮めていきます。
クリスマス後、テレーズは恋人のリチャードに呆れられながらキャロルとの旅行に出かけます。テレーズはなんとか言語化して自分の戸惑いを一生懸命説明しているのに、リチャードは女性同士で惹かれ合うという事が全く理解出来ません。そのかみ合わない様子がとてもおかしかったです。1つの価値観のみを信じ、それ以外の(彼の理解を超えた)価値観や存在を理解することが出来ないリチャードと、そんな世界に違和感を感じていたテレーズ。

キャロルと夫、テレーズとリチャードーこの物語を男女の物語として描くとただの女性の自立の物語になってしまったと思いますが、キャロルとテレーズの物語として描くことにより、人間としての自立の物語となっていたと思います。レズビアンの映画というより、相手に惹かれていく過程で自分を深く見つめて変化していく、そんな映画でした。最後の方のキャロルの『宣言』は非常に感動的でした。

最後のキャロルの『宣言』以外は、セリフでは多くを語らず、余韻を味わうタイプの映画であったと思います。視線や仕草や空間が多くを語る、映画を見る楽しみを堪能することが出来る作品でした。

私にとって一つ残念だったのは、ラストがあまり私の好みではなかった事です。ラストの手前の、映画の冒頭のシーンに戻ってからパーティに行くシーンがとても良かったので、そこで終わって欲しかったです。同じシーンを違うアングルで映すことで、テレーズとキャロルの視線が交差し、またアングルの変化がテレーズの変化のようでもあり、良いシーンでした。

余談ですが、ケイト・ブランシェットアカデミー賞をとった『ブルー・ジャスミン』でも美しい(元)人妻を演じていましたが、どちらもエレガントな女性なのですが、全く違うタイプの女性でした。自分の信じたい事だけを信じ見たいものだけを見て夫に依存していたジャスミンと、知的で自立したキャロル。その違いの一つが、飲んでいたお酒だったと思います。ジャスミンは破産してお金がないにも関わらずシャンパーニュを好む虚栄心の強い女性(もっとも、ラストの方では安酒で酔っぱらっていましたが。)、一方キャロルはクールにマティーニを飲む。どちらも、それぞれのキャラクターにあったお酒でした。
お酒と美味しいものが大好きなので、そういうシーンがとても気になってしまうのです。