いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

一月から三月で105本の映画を見たんですけど、本当にバカじゃないかと思う。

全て劇場で鑑賞。とか言うのも、ウンザリするような状況だ。

今年の目標の一つは、月20本しか映画は見ない、にしたのに……。そして、ちょっと見過ぎちゃった月があったりなかったりで、一年間で見る映画は300本以内に抑えよう、と決めたのに…。一年の4分の1しか終わってないのに、100本超ってドイウコト⁇

どうして、私は、我慢というものが出来ないのか。見たい映画を見たいだけ見ていたら、そりゃぁ、こうもなろうかというか…

そして、呆れることに、見逃した映画があるのだ。あ、あれ見てない、とか此の期に及んで思っているのた。

これをバカと言わずになにをバカと言うのかと…

それにしても、あまりにひどい、ひどすぎる!

とりあえず、4月は30本くらいに抑えよう!!

……あれ?

いや、だって、3月半ばから話題作の劇場公開ラッシュだから…4月末はGWだし……

 

この三ヶ月間に鑑賞した約100本の映画のうち、新作映画は大体40本くらい。今回は特集上映などが多かったので、新作映画はそのくらいしか見ていないと思う。(もう数えるの、ヤダ)

その中でベストは「エンドレスポエトリー」と「ナチュラルウーマン」それから「苦い銭」。3本の映画の共通項は、生命力だ。

ナチュラルウーマン」の、否定されても決して屈しないしなやかな強さ。「苦い銭」の過酷な状況でも逞しく生きる力強さ。(「苦い銭」の物凄い夫婦ゲンカなんて、あまりのパワフルさに、腰を抜かす。一昨年のフィルメックスで鑑賞済だが、あの夫婦ゲンカをもう一度見たくて見に行ったのだが、やはり、凄かった。)

そして、特に「エンドレスポエトリー」の圧倒的なパワーは素晴らしかった。

「太陽は西から登る」と宣言したら、本当に太陽が西から登ってしまいそうな映画だった。

ホドロフスキーは最高の奇術師であり、ペテン師であり、詩人だ。美しく力に満ちた言葉、鮮やかな色彩、幻想的な映像、それらで観客を魅了し、だまくらかし、陶然とさせる。

混沌の中、生き抜くという強い決意で力強く大地を踏みしめて立ち上がり、圧倒的なイマジネーションを駆使して自らの王国を築き上げる。

ある意味、映画の王道なのだが、そういう映画が最近本当に少ないと思う。そんな中で「エンドレスポエトリー」は、これぞ映画、という作品だったと思う。

 

 

痴漢死すべし

映画をみていた。チカンが出た。どついて撃退した。

以上。

だけの話なのだが、最近考えていた事と少しかぶる部分もあったので書いておこうと思う。

 

その日は名画座の2本立てだった。

一本目は『ニューシネマパラダイス』。右隣は年配の男性、左隣は年配の女性だった。映画が終了してからトイレに行って、戻ってきたら左隣には男性が座っていた。

これは別段不思議な事ではない。

2本目は『地獄の黙示録』である。名作だが、女性は苦手な人がいるかもしれない映画だ。

予告、そして映画がはじまる。そこで、あれ?と思った。なんだか左隣の男性が妙に私寄りなのだ。

しかし、私のチケット代は肘掛けから肘掛けまでの範囲のみである。それ以外は私のスペースではない。ちょっと気になったがみている映画は『地獄の黙示録』である。オープニングからアレである。すぐに引き込まれて映画に集中した。

私は集中するとまわりが見えなくなる、非常に映画館向きの人間である。映画に集中すると周りが目に入らず、映画が終わってから「そういえば、今日はうるさかったな。」と思うタイプだ。前の席で人がしゃべっていても、スクリーンに集中してしまえば大丈夫。

そしてその時私が見ていたのは『地獄の黙示録』である。これから何が起こるか全部知っているが、何度見ても見飽きる事などない、あの『地獄の黙示録』だ。すぐに全く周りが気にならなくなる。

 

が、しかし、なんか左隣の男性が足をくっつけてくるのだよ。まぁ、普通ぐいっと押し返すよな!

そして、また映画に集中する。

 

そして、また、なんかおかしい、と思った。それまで映画に集中していたのに、ふと違和感を感じて現実に引き戻された。

そして、おなかのあたりの空間を探ると手がある!私の手じやない!!触られる一歩手前といった感じだった。

気付いた瞬間、ブチ切れた。

私は結構我慢強い方なのだが、切れる時には0.01秒でアドレナリンが噴き出す。考えるより先に手が出た。

左隣の男性をどつ…もとい、何発かつついた。(ぐーだけど。)「何しているのよ!」と女性らしく、しかし毅然と抗議した(はず。完全に頭に血が上っていた。もしかしたら、もう少し乱暴だったかも。いやん。)

すいません、すいません、と言いながらその男性は退席した。

そして、私は引き続き映画を鑑賞した。

だって見ている映画は『地獄の黙示録』なのだ。

そりゃ、ゴアゴアの朝のナパーム弾はとっくに終わっていたよ。プレイメイト達の狂乱も終わっていたよ。ド・ラン橋の狂気も終了していましたよ。

だけど、これから山海塾がワラワラ出てきて、カーツ大佐が出てくるのだ。マーティン・シーンのギャランドゥが血まみれ泥まみれになり、雨がそぼ降る中、イケメンだけど寂しい前髪に「こいつきっとハゲるわ。」としみじみ思うあのラストはこれからなのだ。

 

よく、あの魂をガシガシ削ってくる『地獄の黙示録』を見ながら痴漢をしようなどというクソな事を考える事が出来るな。

クソクズがっっ。

 

私はその日はノースリーブの膝丈のワンピースを着ていた。特に露出度の高い格好をしていたわけではない。ポリエステルのシワになりにくい、旅行や映画鑑賞にピッタリのワンピースだ。

しかし、もしも私が露出度の高い格好をしていたとしても、全く私には落ち度はない。

映画館で隣の席に座った女性の身体に勝手に男性が触るなどという事は、いかなる事情でも認められない。

 

少し前に、中高校の校則でポニーテール禁止、という記事を読んだ。理由が確か「男子生徒の劣情を煽るから。」

はっ?

いや、いや、いや、女子生徒のポニーテールに罪はないでしょう。仮に劣情を煽られても、そこは男性諸君が我慢して下さい。

何故、女子生徒がポニーテールを禁止されなければならないのか。それならいっそのこと共学やめろ、と思った。

 痴漢などの性犯罪の原因は、加害者に求められるべきものである。被害者に原因を押し付けて、「お前達が加害男性の劣情を煽ったからだ。」などと言われるのは明らかにおかしい。

 

私が反省すべき点はただ一つ、左隣の相手に対してとっさに右手で反撃してしまった点だ。落ち着いて後から考えると、相手は左側にいるんだから、左の裏拳だろう。どう考えても。

う〜〜んやはり私はヘッポコだ。

 

しかし、さらに後から考えると、『触る』という痴漢行為が目的というより、『触るふりをして相手を不快にさせる』事が目的の愉快犯だったのかもしれないな、と思った。

映画のはじめのうちにも、なんか足をくっつけてきたりしていたし。結構あからさまに体を寄せてきていたし。

だから、手を突っ込んできて、女性を気持ち悪い〜〜ってさせて、振り払わせるくらいのつもりだったのかも…触られてなかったしな…そういえば…
だけど、映画に夢中になっているオタクにそんなの通じないから!映画に夢中だから深読みとかできないから!手なんかなかなか気がつかないから!悪いけど、手に気がついた瞬間にブチ切れるから!そんで、排除するから!

あんがーまねじめんと??知らん!

だって映画見たいんだもん!!だってオタクなんだもん!!

 

地獄の黙示録』は本当に素晴らしい映画なのだが、何度も集中を乱された人生最悪の鑑賞環境だった。

 

 しかし。

後日、極上の爆音で『地獄の黙示録』を見ることが出来たのだよ。

本当に素晴らしかった。最高の口直しだった。

なんか今炎上していて大変みたいだが、次回は爆音ではないが楽しみな企画なので、頑張って欲しい。

 

 

 

マフィアはイタリア、スパイはイギリスにかぎる。しかし香港映画に勝るものは無い。ードラゴン×マッハ!

 

久しぶりに、劇場が明るくなるまで食い入るようにスクリーンを見ていた。

『ドラゴン×マッハ!』は、鼻血を撒き散らしながらゴロゴロ転げ回って失血死しそうになるくらい興奮する映画だった。

物語も面白かったし、何よりとにかく格好いいのだ。凄く、凄く、もの凄く、格好良かった。最高だった。

 

臓器密輸組織に潜入捜査していた香港警察のチーキットは、素性がバレて組織に捕らわれてしまう。そして臓器密売組織の拠点のタイの刑務所に入れられてしまう。仲間とは連絡がとれず、言葉も通じない孤立無縁の中で、チーキットは白血病の娘を持つ看守(実はムエタイの達人)と出会い、闘い、やがて熱い友情に結ばれ、共に命をかけて巨悪に立ち向かうー

まぁ、そんな感じの(?)映画だった。結構登場人物が多く、それぞれのキャラに事情があるのだが、それを非常に上手くまとめあげて、なかなか見応えがあった。

 

しかし、やはりアクション。本当にアクションがもの凄くて、格好良かった。(こればっか。)

まず、ウー・ジンが潜入捜査官だとバレてしまう空港での捕物、銃撃戦にハラハラする。とにかく見せ方が上手くて、警察、密売組織、ターゲットとその関係者、潜入捜査官が入り乱れて争うのだが、空港の長い長い廊下を使う事で、それぞれの争いが入り乱れながらも絵巻物のように展開していく。敵味方入り乱れているのだが、非常に見やすい。

タイの刑務所での大乱闘シーンもすごく良かった。長回しで撮られているのだが、それぞれの乱闘エピソードが繋がっており、これもまるで絵巻物のようにぐるっと展開していく様が、面白い。隅々までエピソードが散りばめられていて見応えがある。

トニー・ジャー演じる看守のチャイが、刑務所や所長に疑問を持つあたりから、臓器売買の為に掠われて閉じ込められている女子供や、解体された死体など陰惨な場面が出て来る。(おそらく、幅広い観客層を想定してかなり気を使ってゴア表現は控え目。)

最後、ウー・ジンが敵のアジトへ乗り込むのだが、ナイフ使いの眉無しがすごく良かった。

この眉無しは、クライマックスの前に警察がターゲットをガードしているところに1人で乗り込んで、無表情で警官を殺しまくりターゲットを誘拐するのだが、いや〜怖い怖い。ムエタイの達人もカンフーの達人もいないただの警官達10人位を、無表情にためらいもなく排除していくのだ。虐殺といった感じで、非情な恐ろしい殺し屋というイメージだ。

眉無しは補聴器みたいなものをつけていて、一言も発さないので聴覚障害があるという設定なのか?私の狭い付き合いでは、補聴器で聞こえる人は手話を使わず(使えず)喋る人ばかりだから、ちょっとわからないのだが。

とにかく、一言も喋らない眉無しが、ただボスの敵を排除する為に無言で襲いかかってくるのだ。殺るか殺られるか、ですよ。病院の受付の真っ白な部屋でマトリックスバトル。怖い〜カッコいい〜〜

 そして、そして、刑務所の所長のマックス・チャン!最高だった。オールバックに三つ揃いのスーツ!最高過ぎる。

私は、三つ揃いのスーツ姿が大好きで(除く、日本のおっさんのチョッキ)、特にこの映画のマックス・チャンのように逆三体型でキッチリと一分の隙もなく着こなした姿に萌えまくる。

全く関係がないが、私はマフィア映画が大好きなのだが、理由の半分くらいはイタリアマフィアのスーツは三つ揃いだからなのだ。そして、スパイ映画も大好きなのだが、特にイギリスのスパイが大好きなのだが、やはり理由はスーツなのだ。

一昨年の『キングスマン』は私にとって最高の萌え映画だった。昨年の『レジェンド』は、トム・ハーディがイギリスの双子のイケメンマフィアをやるという事だったので、めちゃくちゃ楽しみにしていたのだが、スーツがイマイチだった。トム・ハーディは『裏切りのサーカス』で女に甘いイケメン下っ端スパイをやっていたなぁ〜。そしてあの映画でもテイラーことコリン・ファースが失神もののスーツ姿でスパイをやっていた。やはり、イギリスはスパイでマフィアはイタリアだ、と思う。

『ドラゴン×マックス』では、香港マフィアのマックス・チャンが素晴らしい三つ揃いのスーツ姿を披露してくれた。最高だった。

香港映画は、おっさんのヨレっとしたスーツ姿もあるが、悪役は割とバシッと決めてくる。(ような気がする。イメージ。)

マックス・チャンは、その最高のスーツ姿で、髪一筋乱さず表情一つ変えずに、悪鬼の如き表情の闘神トニー・ジャーと闘うのだ。その絵面の素晴らしさといったら、素晴らしさといったら…ってなんの例えも浮かばないよ!もう、本当に本当にスゴイんだよ〜〜!!

眉無しと所長は本当に良かった。眉無しは若手のようなので今後に期待。

 

この映画ではだれもが何かが欠けており、それは身体的、健康面、精神的、経済面など様々なものなのだが、その欠けた物の為に闘っていた。しかし、闘い方にも色々ある。自分の都合や自分にとっての正義や経済的困窮のために、倫理・道徳を無視して犯罪行為に手を染める者もいれば、どんな苦境に陥ろうとも人の道をはずれず闘う者もいる。

最後の所長とトニー・ジャーウー・ジンの闘いの最中に、トニーの娘が病院を抜け出してバンコクの街中で狼(の幻影?)に出会うシーンがある。狼=野生、つまり人の道に外れた獣の象徴であり、お父さんが命がけで悪と闘っている最中に彼女もまた闘い、そして勝利するというね、泣くわ〜マジ泣けるわ〜〜

 

本当に興奮する、素晴らしい映画だった。

この後、『幸せなひとりぼっち』を見る予定だったが、もう完全にエンジンかかっちゃってそんな気分じゃない。ムリです…

私は映画が終わった瞬間に切り替わるので、全く違うタイプの映画を立て続けに見る事が出来るのだが、これはムリです…

なんというか、『ドラゴン×マッハ』は童貞魂を熱くたぎらせる映画で、大興奮する映画だったのだ。映画が終わっても全く切り替える事が出来ない。

…という訳で、別の童貞映画『マッド・マックス 怒りのデス・ロード ブラック&クロームエディション』を見に行ったよ。最高だったよ〜。マジで恰好良かった。鼻血が止まるヒマがないよ〜〜

 

終了間際にようやく『幸せなひとりぼっち』を見る事が出来たので記念かきこ。(使い方あってる?)この映画もいい映画だったので、見逃さなくて良かった。

 

 

うつくしいせかいー『君の名は』と『この世界の片隅に』

私は、自分がターゲットから外れているな、と思う映画は見ない事にしている。自分ゾーニングである。

しかし、流行り物は一応押さえておこう、とも思っている。みんながいいと言っているものに違和感を感じたら、そのズレが何処にあるか考える為だ。

 

なんだか『君の名は』がえらいヒットだという事なので、年が明けてから『この世界の片隅に』とアニメ2本立てにして見てきた。

『君の名は』は明らかに自分がターゲットから外れていると思われるが、そんなにヒットしているなら一応見ておいた方がいいか、と思ったのだ。年が明けてからならファンの熱狂も落ち着いているんじゃないか、と思ったのもある。

客の入りは半分くらいだった。想像していたより席が埋まっていたので、少々ビビった。

映画が始まって、丹念に描かれている絵に感動する。凄い綺麗だった。だが、やはり、物語には全く乗る事が出来なかった。

大体、私は少女漫画がよくわからないし、連ドラとか面白さが全く不明だったし、少年漫画誌恋愛漫画枠の存在がさっぱり理解出来なかった人間なのだ。

私には向いていない映画だった。もう少し火薬の使用量が多ければ、あるいは娯楽作として消化出来たかもしれないが、色々と物足りなかった。

しかし、この映画が好きだという人がいるのは理解出来る。美しい映画である事は間違いないと思う。それは、映像だけでなく、美しい感情のみをすくい取った物語だからだ。そういう物語が好きな人は沢山いる。

私が思い付く物語なんぞ、隕石が落下した事により未知のウイルスに感染、人類がゾンビ化→過去と夢でつながった主人公が頑張ってそれを阻止、とかそんな話しか思い付かね〜わ。

これは、それまでの人生経験とかは関係なく、その人間の嗜好の問題であると思う。なにを好ましいと思うか、面白いと思うか。勿論、人生経験によって影響を受けるところもあるだろう。でも、それだけではない。

この映画は女性にも好きな人はいるかもしれないか、基本的に男性向けの漫画だと思う。私が一番それを強く感じたのは、女体化とか巫女さんではなく、奥寺先輩だ。みんなに人気の年上の格好いい女性が何故かさえない主人公に好意をよせる、というやつだ。普通ないわ、そんなの。

やはり、私はこの映画のターゲット外だ。こんな感想で申し訳ない。

 

では、『この世界の片隅に』 がどうだったかというと、非常にいい映画だったと思う。丹念に描かれた物語が、心に染みる映画だった。

生活の描写などは本当に見事で、食べ物の工夫などはとても面白かった。着物を二部式のモンペに仕立て直すところで、けんちょうきで一生懸命チクチク縫っていたり、「お古だけど、モスリン(聞こえなかった。違うかも。人絹かな?)が入ってないの。純綿よ。」と言ってはしゃいでいるところも可愛かった。

しかし、これもイマイチ乗り切れなかった。なぜなら、私はドジっ子が生理的に受け付けないのだ。

映画に没頭しかけると、ドジっ子を見て我に帰る、ということを繰り返した。

ケチのつけようのないあの映画に、よくもそんなつまらないケチを付けるな、と自分でも呆れるが、ドジっ子はムリ。

お義姉さんがすずさんにイラつくのも無理は無いと思う。

お義姉さんは自分で仕事を見つけて、旦那さんと出会い結婚をして子供を作り、旦那さんと一緒にお店を切り盛りしてきた。努力をして、一生懸命に、主体的に生きてきた。しかし、戦争によって全て失ってしまう。

そんな時に目の前であんなのがフワフワしていたら、それはイラっとするだろう。ただひとつ手元に残った幼い娘まで奪われたら、それは「お前が死ねば良かった」と言いたくもなるだろう。

ただ、お義姉さんもすずさんも善い人間だから、人を傷つけたりする事を望まない真っ当な人間だから、傷つきながらもお互いを思いやり懸命に生きている姿に胸をうたれる。

 最後に、広島からすずさんについて来た少女に、お義姉さんが晴美ちゃんの洋服を出してあげるシーンは、泣いた。とてもいいシーンだった。

いい映画だったと思う。でも、すいません。ドジっ子はムリです。こんな感想で申し訳ない。

 

2本の映画に共通しているのは、悪人が出てこない事。普段、悪人がワサワサ出て来る映画ばかりみているので、最後のどんでん返しを警戒したが、勿論そんなものはなかった。

でも、2本の映画は全く違うものだった。

『君の名は』は悪人のいないパラダイスの物語だった。だから、美しい。

この世界の片隅に』は悪人は出てこないが、胸がつぶれるほどの悪意に囲まれた世界の物語だった。しかし、奇跡的に美しい。

どちらも、丁寧に作られたよく出来た映画であったと思う。それぞれの作品を愛してやまない人達が、絶賛するのも当然の映画だった。

 

 

 

 

スターウォーズ ローグ・ワンをみた。面白かった。ー映画オタクの感想

年末にみた。面白かった。

スターウォーズにはそれ程思い入れは無く(基本的にシリーズものにそんなに思い入れが無い。作品の面白さ重視。)前回の『フォースの覚醒』は、まぁ、流行り物は押さえておこう位の気持ちで見て、そこそこ楽しんだ。

この、ローグ・ワンはちょっと私的にキャスティングが凄過ぎて、そういう意味で物凄く楽しみにしていた。

 

まず、ディエゴ・ルナ。メキシコ。

『ルドandクルシ』はクルシよりルド、ガエル・ガルシア・ベルナルよりディエゴが好き。ガエル・ガルシア・ベルナルは目にお星様がキラキラしているようなラテンのイケメンだが、私は目が死んでいるイケメンのディエゴ・ルナが大好き。

映画始まったら、ディエゴはスパイのようだった。最高だ。キャスティングの人の仕事が素晴らしい。

そしてキチガイをやらせたら抜群のベン・メンデルスゾーン‼︎オーストラリア。

この人、ほんの4,5年前まで日本語のwikiなかったんだけど‼︎英語版しかなかったんだけど‼︎‼︎ハリウッドの、スターウォーズ出演だと‼︎大興奮した。

そして役柄が、なんかのちょーかんのようだが、その溢れ出る下っ端感が絶妙。キチガイ度数は控えめで、いつもの「10日位水浴びしていません」といった感じもなかったが、しかし、やっぱりなんかおかしい人だった。

ベン・メンデルスゾーンは日本でたとえると、リリー・フランキーキチガイだけどもてそう、というキャラではなく、水澤紳吾の気持ち悪いキチガイでもてなさそう、という感じの人。水澤紳吾も、SRのトムさんではなく『ぼっちゃん』や『狂人日記』の方。

そして、ドニー・イェンチアン・ウェン。香港、中国。

つまらない役だったらどうしよう…とおびえていたらちゃんと見せ場あり。(『フォースの覚醒』のマッドドッグの悪夢再びか、と本気でおびえていた。チラッと出て、はい、終わりだった。アレはヒドイ。)狂言回し的な役柄だが、ドニーさんはやっぱりマーベラスだし、チアン・ウェンの死を覚悟した瞬間のあの表情、あのカット、いい男すぎる。(イケメンではない。)

そして、さすがの存在感のマッツ・ミケルセンデンマーク

あと、会議のシーンでチョロっとファレス・ファレスが出ていてたまげた。この人アラブ系スウェーデン人。

未体験ゾーンで毎年特捜部Qを楽しみにしている。

 

ハリウッド映画を見ていて、本当に凄いな、と思うのは、キャストについてだったりする。『ワールド・ウォーZ』でもピエルフランチェスコ・ファヴィーノ(伊)とモーリッツ・ブライプトロイ(独)が研究所の職員でチラッと出た時は驚いたが、各国でトップクラスの役者が本当にチョロっと出てくる事がある。

アメリカなんて、そこいら中に○○系なんているだろうから、そういう人使った方が安上がりだろう。しかし、そうではなく○○人が演じるから、各国の研究者が集まった研究所ぽいし、ローグ・ワンの連合軍的な雰囲気が盛り上がる。

勿論、各国の役者が出る事でその国での興収が…というのが一番の目的だろうが、その結果にオタク大喜びなのだ。

 

後半の戦争シーンは、勿論良かった。

しかし、私としては好きな役者がハリウッド超大作で活躍する、というところに一番ヒィヒィしてしまった。

面白かった。

 

 

 

2016年一番の映画

2016年もまた、素晴らしい映画をたくさん見る事が出来た。

良かった映画について全てにコメントをつけようとすると、結局ひとつもコメント出来ない事になるので、とりあえず、とびきり良かった映画のみあげる。

『光りの墓』、次点で『ホースマネー』。

2016年はアピチャッポン・イヤーといってもいいような年で、写美の個展や特集上映、展覧会での展示など盛り沢山の企画の中、この新作映画は格別だった。

非常に説明しずらい映画だが、とにかく豊かなイメージに圧倒される。夢か現か判然としない、ちょっと向こうそのまた向こうの世界を描いた作品だった。まるで目を開けたまま見ている夢のようで、私の視界には入らないが存在している世界ー曲がり角の向こう、扉の閉まったエレベーター、トンネルの外ーそんな、確かに存在するけれども私の視界に入らない不確かな風景が描かれている。驚きに満ちた作品だった。
そもそも物語のはじまりの『原因不明の眠り病の兵士達』というものからして、なんとも不思議なものだ。それを看病する女達の中にも、人の夢を読む事が出来る女がいたり、兵士達の眠り病について語る女達は既に死んだ姫君達であったりする。

これまで6本くらいアピチャッポン監督の作品を見ているが、どれも夢と現実の境界が曖昧だ。いくつかのエピソードが断片的に語られるのだが、生と死、眠りと覚醒が非常に曖昧で、死者と生者が語らい、眠り夢を見ているのか、覚醒して夢を見ているのか判然としない。

夢に傾き過ぎれば空想の度合いが大きくなり、現に傾き過ぎれば妄想の度合いが大きくなる。その間で、どちらにも傾き過ぎない、幻想的な世界を描く、ありそうで無い幻想怪奇映画を作ってくれる大好きな監督である。

写美の個展の一番はじめに展示されていた窓のビデオは、何年か前にやはり写美で見た作品だが、私はアピチャッポンの映画を見るたびにいつも連想してもう一度見たいと思っていた作品だった。何故かというのは、正直よくわからない。ただ、ビデオ作品の窓越しの視線や光の質感が、アピチャッポンの世界のはじまりの地点のように思えるのだ。

私にとって2016年は、アピチャッポン作品を堪能する事の出来た良き一年となった。

 

もう2016年が終わってしまった!2017年が始まってしまった‼︎

こんな事を言ってばかりいるような気がするが、もう1年が終わってしまった。あっという間だった。

歳の近い人とはそんな話ばかりしており、「歳とると本当に1年があっという間ですね〜」と笑っていたが、驚くほどはやかった。

しかし、手帳を開いて2016年に映画館で鑑賞した映画の数を数えて驚いた。

348本だった…

アホか、と思った。仕事もそこそこ忙しかったのに、よく見たものだと呆れた。

そりゃぁ、ただの趣味にそんなに時間を使っていたら、1年があっという間に終わってしまうはずだ。

しかし、それでも見逃した映画があるのが驚きだ。

 なんで、『ダゲレオタイプの女』を見逃したのか…348本見ているのに…真性のアホだ…

 

そういえば、今年は美術展をあまりみていない。

さすがに大好きなカラヴァッジョ、ダリはおさえた。新しい発見としては、モランディとトマス・ルス。この2つは非常に好みだった。あとは20くらいしか鑑賞していないのではないだろうか?

少ない。

 

とりあえず、2017年は映画の鑑賞本数をしぼってアウトプットを増やしたい。