いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

お酒と映画

旅行中に気が付いた「お酒映画ベスト10」

どっちも大好き、両方合わせて諭吉を何枚つぎ込んだかわからないくらい好き。

と、とりあえず、参加だけでもしたい、と思って、帰りの新幹線で殴り書きする。

お酒と映画は切っても切れない関係にあるので、キリがない。そこで「最近の映画で、お酒が意味を持っている映画」という私ルールを作った。あと、お酒がらみの好きなシーンがある映画と、お酒が効果的に使われている映画でわけてみた。

パッと思いついた10本は以下。ちゃんと考えたら、10本に絞り切れないよ…

 

1.ル・アーヴルの靴みがき (2011年、フィンランドアキ・カウリスマキ監督)白ワイン
2.インビテーション(2015年、アメリカ、カリン・クサマ監督)ワイン
3.ブルージャスミン(2013年、アメリカ、ウディ・アレン監督)シャンパーニュ、ウィスキー
4.アデル ブルーは熱い色(2013年、フランス、アブデラティフ・ケシシュ監督)ワイン
5.ゼロ グラビティ(2013年、アメリカ、アルフォンソ・キュアロン監督)蒸留酒
6.キャロル(2015年、アメリカ、トッド・ヘインズ監督)マティーニ
7.ソニはご機嫌ななめ(2013年、韓国、ホン・サンス監督)焼酎
8.汽車はふたたび故郷へ(2010年、グルジアオタール・イオセリアーニ監督)ワイン
9.イタリアは呼んでいる(2014年、イギリス、マイケル・ウィンターボトム監督)ワイン
10.ジャッキー・コーガン(2012年、アメリカ、アンドリュー・ドミニク監督)ビール

 

(表記が、やってはいけないことリストに上がっている事を全部やっているようなヒドイ有様だった。遅ればせながら、訂正した。本当にすみません。時間切れで、集計から弾かれている事を願う。)

 

そして、パッと思いついたものなので、お酒に非常に偏りがあり、ワインばっかりになってしまった。カクテルなんて、マティーニを無理やり突っ込んだ一本のみ。愛する日本酒は、どうしてもドキュメンタリーしか思いつかなくてゼロ。日本酒を印象的に飲んでいる最近の日本映画って、どうしても思いつかない。

うー、悔しい、なんか思いついたら、番外編を書こう。

 

1.ル・アーヴルの靴みがき (2011年 フィンランド 監督アキ・カウリスマキ お酒白ワイン)お酒がらみの好きなシーンがある映画。
主人公のマルセルがレストランで一人で食事をするシーンがある。そこでいつも通りグラス一杯の白ワインとオムレツを注文しようとしたが、値上がりしたらしく手持ちのお金では足らない。(マルセルは靴みがきで生計をたてていて、低所得層に属する。)そこで「卵一個のオムレツとグラス一杯の白ワイン」とオーダーする。(本当は、オムレツは卵2個)
こう書くと、「アル中!」と怒る人がいるかもしれないけど、違うのだ。これは、ただの格好つけ。ポリシーというか、スタイルというか。
マルセルは頑固ジジイなのだが、なんか、このシーンが非常に良かった。好きなシーン。
映画も、とてもいい作品だった。


2.インビテーション(2015年 アメリカ 監督カリン・クサマ お酒ワイン)お酒が効果的に使われている映画。
2017年の未体験ゾーンで鑑賞。シッチェスで受賞しているサスペンス、スリラー、ホラーと言ってもいいかもしれない作品。
元妻のパーティに、現在のパートナーと招待されたウィル。元妻は資産家で、ウィルもかつては住んでいた高級住宅街の豪邸に招待される。ウィルと元妻の間には一人息子がいたが、その一人息子が事故死した後、元妻は精神を病み、新興宗教にはまってしまった。そこで現旦那と出会った事が原因で、ウィルと元妻は離婚する。
で、そのパーティには、元妻が新興宗教にはまったころから疎遠になっていた友人達が招かれている。久しぶり〜〜と再会を喜びつつも、なんか不穏な雰囲気があり、みんな微妙な顔。
パーティなので乾杯をするのだが、それが、ボルドー五大シャトーの古いビンテージ。(詳しい事は忘れた。ええええぇ〜〜ってなったのだけは覚えている。)招待客もマジで?って感じで顔を見合わせてる。
で、その後色々な事があり、最後のシェリー(これもすごいのだった。けど、忘れた。)で大事件、そして怒涛のクライマックス、という映画だった。
とにかく、スゴイお酒が出て、ええっ、てなる。ホームパーティのレベルじゃない。このパーティはただのパーティではない、という事がお酒からありありと伝わってくる。そして、勿論ただのパーティではなかった。
この作品はすごい面白かった。劇場公開されなかったのが残念。まぁ、スター俳優が出てないから、しょうがないか。


3.ブルージャスミン(2013年 アメリカ 監督ウディ・アレン お酒シャンパーニュ、ウィスキー)お酒が効果的に使われている映画
映画が始まったばかりの時は、破産してお金がないにも関わらず、シャンパーニュが飲みたいとか言って、安いお酒を飲んでいる妹やその彼氏達を小馬鹿にしているジャスミンが、最後にはその、安いウィスキーを飲んで酔っ払っている姿が、怖かった。
落ちぶれ具合を身だしなみやお酒で表現していて、それをあの完璧な美貌のケイト ブランシェットが圧巻の演技で演じていた。そりゃあ、主演女優賞を受賞するでしょうよ。

 

4.アデル ブルーは熱い色(2013年 フランス 監督アブデラティフ・ケシシュ お酒ワイン)お酒が効果的に使われている映画
この映画では、階層を表現するのにワインが非常に効果的に使われていた。
エマの家では、カキにあわせて白ワイン(おそらく、ロワールではなくシャブリ。)が出される。ワインに合わせて、グラスも出して、セッティングをしていた。エマの両親は、芸術や娘の性的嗜好に理解を示していた。
アデルの家では、パスタがガツンと出されて、みんなでそれを取り分けて食べる。赤ワインは、普通のグラスでがぶ飲み。(こっちのパスタの方が美味しそう…)両親は公務員押しで、アデルを理解しようという雰囲気はない。
アッパーとミドルのクラス感が非常によく表現されていた。


5.ゼロ グラビティ(2013年 アメリカ 監督アルフォンソ・キュアロン お酒蒸留酒?)お酒がらみの好きなシーンがある映画
ジョージ クルーニーが帰ってくるシーンで、ここに酒を隠していたのさ、というシーン。(いや、他にもアドバイスとかしますけどね。お酒はメインの用事ではないですけどね。)あのシーンが、本当に好き。映画自体は、別に、普通に好き程度なんだけど。
あのシーンは夢か現かよくわからない感じになっているが、どっちにしても「ああ、この人は死んでしまったのだ。」という事が伝わってくるシーンだった。
それまではサンドラ ブロックも、宇宙の深淵に消えていったジョージ クルーニーを、もしかしたら助ける事が出来たかも、などという後悔とか、もしかしたらまだ生きているかもしれない、という思いがあったかもしれない。しかし、あのシーンで、ああ、この人は死んでしまったのだ、ということが腑に落ちたのではないだろうか。私は、そんなシーンだったと思った。

そして、死に囚われたサンドラ ブロックを、解放し救ったように思った。

非常にいいシーンだった。


6.キャロル(2015年 アメリカ 監督トッド・ヘインズ お酒 マティーニ)お酒が効果的に使われている映画
キャロルがマティーニを飲むシーンが、非常に格好よくて、テレーズが憧れるのも納得してしまうシーンだった。デパートのシーンだけだと、ただの一目惚れで、ちょっとストーリー的に甘くて弱いんだけど、惹かれていく過程が格好良く演出されていた。


7.ソニはご機嫌ななめ(2013年 韓国 監督ホン・サンス お酒 焼酎)
ホン サンス=お酒というくらい、よくお酒を飲んでいる。あの、ダラダラお酒飲んでいるところが、ホン サンスの描くダラダラした男女にも通じる。

7位ホン サンス作品全部としたいくらいだが、とりあえず「ソニはご機嫌ななめ」にしてみた。この映画は特に、韓国人お酒強いなぁ〜〜としみじみ思う映画だった。自分のか弱い肝臓と比べると、本当にあの人達すごいよ。昼から焼酎ストレートでガンガン飲んでいるんですよ、あの人達。凄い。羨ましい。私にその肝臓を下さい。


8.汽車はふたたび故郷へ(2010年 グルジア 監督オタール・イオセリアーニ お酒 蒸留酒、ワイン)お酒が効果的に使われている映画

主人公が、フランスへ亡命する前に政府高官にワイロでワインを持っていくシーンがある。ラベルとかなんにも貼っていない古ぼけたボトルを差し出して〇〇ですよ、っていうと、おおって喜んで受け取っていた。

さすが、黒海沿岸ワイン発祥の地、と思った。

あと、映画の冒頭でなんか蒸留酒ウォッカ的な何か?)を作っているのだが、雰囲気からいって密造酒?かしら?って感じだった。「子供は飲んじゃダメ」とか言われていたが、確か盗み飲みしてなかったっけ?まぁ、ダメと言われたら、イタズラしちゃうよね。


9.イタリアは呼んでいる(2014年 イギリス 監督マイケル・ウィンターボトム お酒 ワイン)

イギリスのオッサン二人がイタリアで食レポする映画(雑すぎる…)。素敵なホテルやレストランで素晴らしいお料理そしてワイン。素晴らしかった。

ただ、私がこの映画で一番好きなシーンは、実は全くお酒に関係なし。

あるホテルで一つの椅子を発見して、オッサン達はJKのようにきゃあきゃあと大はしゃぎ。「あれやろうぜ〜〜」って言ってやり始めるのが、ゴッドファーザー2のワンシーン。若きドン コルレオーネが父の仇をとるシーン。

ロバート デ ニーロがマーロン ブランドの若かりし頃を、あのフガフガした喋り方を真似して演じるのだが、その真似の真似をオッサン達が大喜びしてやっているシーンが、一番好き。

そのシーンまでも、ず〜っとフガフガした喋り方の色々な役者や役のモノマネしていたのだが、お前らこの「真似の真似」がやりたかっただけなのかよ、今までのモノマネは全部コレのための前振りだったのかよ、と思った。


10.ジャッキー・コーガン(2012年 アメリカ 監督アンドリュー・ドミニク お酒 ビール)お酒が効果的に使われている映画

この映画は、サブプライムローンをギャングの賭場荒らしに置き換えたアメリカ経済の映画、らしい。

途中のレストランのシーンで、小道具の確かビールが、カットによって増えたり減ったりする。同じシーンなのに、さっきのシーンと数が違う、あれれ⁇となる。サブプライムの詐欺みたいな話を上手く、地味に表現していた。

映画の評判はイマイチだったようだが、細かいところまで作りこまれた作品だった。

 

うわぁぁ、締め切り時間に間に合わない。

理由については、追記するかも。とりあえずアップする。

いいエイズとわるいエイズー「BPM」とはあちゅうさん

ちょっとだけ。

BPM」はカンヌでグランプリをとった映画。

 

90年代始めのパリで活動するACTUPというHIV/エイズへの偏見や差別に抗議するグループの活動と人間関係を描く。

 

ほんの一瞬だけど、ゲイの患者と血友病の患者が意見が食い違うシーンがある。その時に、血友病患者の方がマスコミ受けがよくって、政治的にも見映えがいい、といった感じの発言がある。

(追記。映画では血友病エイズ患者の母親が、ACTUPから役人に死刑を求める声明を出そうと提案した事について、ゲイのエイズ患者がそれはACTUPが求める要求とは違う、と主張するシーンがあった。そのシーンでの発言。)

1990年代に日本で語られたのも、血友病患者のHIV/エイズ感染について、いわゆる薬害エイズのみだった。その他のゲイや麻薬使用者やセックスワーカーの感染については、ほとんどテレビなどでは報道されていないと思う。

確かに薬害エイズは酷い話であったし、患者は完全なる被害者だった。しかし、その他の原因で感染した人達も、同じ病気に感染した被害者だ。

それなのに、感染経路によって、いいエイズと悪いエイズに分けられていた。

同じ病気に苦しむ患者なのに、同じ病気の被害者なのに、完全なる被害者と、知識不足やちょっとした不注意での感染による被害者ーその多数を占めるのが、社会的に差別されているマイノリティーだった。ーを分けるのはおかしくはないか?

今風に言うと、「自己責任」という事になるのだろうか。

 

映画が終わってから、つらつら思ったのが、はぁちゅうの、新潟県知事の件についての発言。

あれも、いいセクハラと悪いセクハラー許されるセクハラと許されないセクハラって感じで、いやな感じだった。

(追記。どちらも性的搾取の被害者の告発という点では、同じではないだろうか。)

被害者の属性や行為から、いい・悪いを判断するのはあまりいい事ではないのではないだろうか。

はぁちゅうは、林真理子の発言を支持していたのだが、この二人は「脳みそが女で目線が男」だと思う。

考え方や行動や価値観は女性的だが、男社会の荒波にもまれているからか基準が男性的。社会的に成功している女性はこのタイプが多いかな。

はぁちゅうは自身のmetooで、上司のセクハラに耐えたのは、見返りを期待した部分もあった、浅はかだった、といった感じの事を言っていたと思うけど、それがOKならこれもOKでしょう?

 

世界報道写真展では、毎年HIV/エイズ患者の写真が展示される。それは患者が、ゲイなど社会的弱者であったり、セックスワーカーなど貧困層であったり、社会問題として考えなければならない事だからだ。

ほとんどの写真が悲惨なものであり、それを自己責任で片付けるのは、傲慢であると思う。

 

どのような問題でも、同じ被害者を、いい・わるい、で分けるのはあまりよろしくないのではないだろうか。

我々は、社会の問題として、一緒に考えなくてはならないのではないだろうか。

 

追記した。

昨夜は、今一番お気に入りの蔵である梅乃宿の季節限定生酒飲みながら書いてたら、なんか抜けてしまった。

一度公開したものは、基本的に訂正しない、と決めていたけど、これはちょっとだけ、追記。

アニキィィ、どうしてアップライジング撮ってくれなかったんっすかっっっーシェイプ オブ ウォーター、それから、パシフィックリム アップライジング

映画を見る前からブログのタイトル決めて、グチを書く気満々で見に行った。しかし、アップライジング、結構ナカナカ面白かった。私的には満足。

パシフィックリムの続編としてではなく、全く関係ない別物として楽しんだ。

こんなにお金かけてこのクオリティ!素晴らしい!ハラショ〜〜‼︎という感じだった。

 

当初の予定では、嫌味ったらしく、皮肉を言いながら書きはじめる予定だった。こんな感じ↓

 

シェイプ オブ ウォーターがアカデミー賞作品賞取ったそうですね。おめでとうございます。

なんか、色々と意味が込められた、今を生きる私達にピッタリの映画だそうですね。

こういった、いわゆるB級映画がアカデミー賞を取るとは、いやはや、いい時代になったものですね。

(ここまで全て棒読みで。)

 

だけどさぁ〜、アップライジングがやってくれたわけですよ。笑わせてくれた訳ですよ。なんか、色々どうでもよくなってしまった。

「Mt.Fuji」をぶっ込まれたら、もう本当に、全てがどうでもよくなりますよ。まうんと ふじに、れああーすってマジっすか⁇そんで、それ目指してKAIJUが集まってくるって、どういう事っすか⁇

富士山が活火山になってる…とか、どうでもいい事(え?)に引っかかっているシロウトは、とっとと帰れ‼︎あれは「Mt.Fuji」だからな‼︎‼︎

 

ざっくりとあらすじを書いてみると、こんな感じ?

パシフィックリムから10年後、新たに開発された無人イェガーが世界中に配備される事になったのだが、その無人イェガーには、異世界人プリカーサーに乗っ取られたニュートによってKAIJUの脳が埋め込まれていた。次々にKAIJUに乗っ取られていく無人イェガーが、裂け目を開き、KAIJUを召喚する。今、新たな戦いが始まる。

って感じの物語だったかな?確かこんな感じだったかな?まぁ、そんなもん、どうでもいい訳です。前作以上にどーでもいい事になってます。

なので、後半は本当にやりたい放題、無茶苦茶な事になってます。

なんか、シラスウナギみたいなのがワラワラワラワラ〜〜っと出てきて、それがワラワラワラワラ〜〜とKAIJUにたかると、なんかわかんないけど、3体のKAIJUが合体して巨大KAIJUに!なるんですよ‼︎よくわかんないんですけど‼︎でも、いいの!なぜなら私は、巨大合体ロボが大好きだから‼︎

とにかく、突っ込み待ちが多過ぎる!ボケ、ボケ、ボケまくり‼︎

いやぁ〜本当に楽しかったです!

私、本当に、こういうバカコンテンツが大っ好きなんだよ〜〜マジメで頭のいい友達にはよく怒られてたんだけど、どうっしてもやめる事ができないのぉ〜〜

 

それにしても、やはり、ギレルモ デ トロは凄いと思った。

アップライジングは、とにかくいろんなエキスをがっつん、がっつんぶっ込んで、混ぜこぜにして、訳がわからない状態になっている。

それに比べて、前作は最初から最後までトーンが統一されていた。確かな世界観の上に物語が構築されていた。無茶苦茶な展開にも耐える、確固たる世界観だ。ブレがない。トロ、凄い。

アップライジングはブレまくり。全く統一感が、ない。

映像も、トロはとにかくKAIJUが格好いいのが第一、あとイェガーが格好いいのに魂を賭けていたと思う。だから、ストーリーも非常にしっかりと作られている映画なのに、ぱっと見、派手な戦闘シーンのみの映画のように見えるくらい、とにかく格好良い映像だった。

アップライジングはストーリーもメチャクチャだが、映像もヒドイ。イェガーとか、格好良く作っているけど、見せ方がダメ。操縦室でティフリギ(後ろ回し蹴り。空手とはちょっと違う。)的なのをやっているのを見かけたのでございますが、「修羅ランド」のマスカットちゃんと同じくらいヒドイ。(その後マスカットちゃんは「スロータージャップ」で殺丸になっており、白帯から青帯くらいになっていたので、おばちゃん、安心したざます。あまりに可憐すぎて、マスカットちゃんというよりマーガレットちゃんって感じだったよ…)ハリウッドのお金を湯水のように使っている映画が、日本の大学生が作った映画(予算10まんえん位)並みの映像ってドイウコト?(しかも「修羅ランド」はナニなところもあったが、監督の個性の出た面白い映画だった。)

トロは一つたりとも気の抜けた映像はなかった。

アップライジングは、比べるとやはりダメな映画なのだが、別物として突っ込みながら見ることができる人には、楽しめると思う。

 

怪獣とKAIJUについて。

パシフィックリムは、日本の怪獣映画好きのオタクが作った映画かもしれない。しかしあれは、ギレルモ デ トロの、キリスト教徒の作った映画だった。海底の深淵から現れるKAIJUは、邪神であり、この世ならぬものであった。怪獣というより、冥界の王や堕天使やクトゥルフの神々に近いように感じた。全く異質な存在だった。

しかし、日本の怪獣は、自然の中から生まれた神である。まつろわぬ神かもしれないが、この世のものだ。宇宙から飛来する怪獣ですら、そのように創造されていたと思う。

なんというか、根本的に違うものだと思う。

このあたりの、キリスト教的、またはイスラムユダヤなども含めた一神教的な価値観から作られた映画と、アジアの多神教の文化の中から生まれる映画については、また、書きたい。ロシアのキリスト教と見せかけた多神教的価値観とかね。

ニッポン国VS泉南石綿村を見たメモ

今日見た。本は、最初のインタビューをちょっと読んだだけ。

以下、印象のみ。

 

この判決というものが、勝訴ということになっているのだが、少し引っかかりを感じる。

結局、家族曝露と近隣曝露は認められなかった。

つまり、論点が非常に狭められている。

環境問題としてではなく、労働環境とその国の監督責任のみが認められたのか。

納得出来ないなぁ。

 

ドキュメンタリー映画だし、監督は原一男だし、仕方ないんだが、人に焦点が当たっていて、裁判については、必要最低限のみ。情報が足らない。

まぁ、仕方ないか。

しかし、流石の面白さ。4時間も見ていたなんて信じられない。体感2時間。

 

判決には納得出来ないが、決して治る事はなく、どんどん病状が悪化する原告の事を考えれば、一旦区切りをつける事が出来て良かったのだろう。

原告や亡くなった原告、遺族の方達。出て来る人達が素朴で控え目な人達ばかりで、本当に気の毒になる。現代日本か?本当か?昔の映画でも見せられているんじゃないのか?

「働いてお金をもらったんだから、その結果病気になったとしてもしょうがない。」

これを、病気で苦しむ本人が言うのだから。

本にあった言葉。

「国の不作為で理不尽な被害を受けた人達」

その人達がこんなことを言うというのはあきらかにおかしい。

だが、そんな人達に、争いを強要する事は酷である。

大臣が出て来て謝罪したら、それで誠意を示してもらえたと思うのならば、それでもいいのではないか。

亡くなった人は戻らず、失われた健康はもとに戻らないどころか、どんどん悪化していくのだ。せめて心の平穏を。

 

しかし、それでも私は、亡くなった原告の家で謝罪する塩崎大臣の一挙手一投足に鋭い眼差しを向ける原告団代表の柚岡氏の、俺は納得していないぞ、といった感じのその強い双眸を支持したい。

 

とりあえず、みんなが口を揃えて酷いと言っている三浦判決は読んでおきたい。

関連判決も、出来たら抑えたい。

しかし〜〜時間が〜〜無い〜〜

バカな映画を見なければ〜〜時間はあるのだが〜〜だがしかし〜〜それはムリ〜〜無理なんだ〜〜

 

 

女たちと、男達と、子どもたちー「花咲くころ」「精神の声」あと「ワンダーストラック」

「花咲くころ」は、監督のデビュー作らしいが、非常に端正に作られていて、ちょっと出来すぎとも思うが、美しいいい作品だった。

物語は春から初夏にかけて、ソ連崩壊後の内戦のジョージアで、少女達のまわりで起こる事柄を描く。

14才のエカは、父が不在の家で母と姉と暮らす。エカの親友のナティアは、アル中の父、それから母と祖母、反抗的な弟と暮らしている。

エカは少し小柄で思慮深い少女、ナティアは大人びた感じの魅力的な少女だ。

彼女達のまわりで起こる事件が、その時代のジョージアを語る。

一つ一つが非常に印象的なエピソードなのだが、一つ選ぶとすれば、ナティアの誘拐婚のエピソードと、ナティアの結婚式のシーン。

ナティアに恋をしている少年が、白昼堂々と沢山の人の前から、仲間達と一緒にナティアをさらうのだ。ナティアは抗うし、エカも必死でナティアをかばおうとするが、まわりの大人達はただ見ているだけ。そして、ナティアはさらわれてしまう。女性の純潔が重視される為(映画では、少女達の会話で、処女でなかった為に離婚された女性の話がでてくる。)相手と結婚するしかない。

このエピソードには少し誇張があるか、何かの暗喩である事を祈ってしまうほど酷いエピソードなのだが(あろうことか、少女がさらわれるのを、まわりの大人達は見ているだけなのだ!)実際にジョージアでは誘拐婚によって学校を辞める少女がいた、という事だ。少女の教育は、女性の自立を考える上で非常に重要である。いや、性別に関わりなく子どもから教育の機会を奪う事は、許されないと思う。まわりの大人がろくでもなくても、教育の機会さえあれば、子供は他の真っ当な大人から学ぶことができるかもしれない。

(少なくとも私は、そう信じている。この世から一人でもDQNが減る事を祈って、税金納めているよ、私は。)

そして、そのナティアの結婚式でエカが踊る。民族舞踏なのだが、まわりの冷やかすような雰囲気が「?」だった。映画が終わってから調べたところ、エカが踊っていたのは男性舞踏だったらしい。なるほど、抗議の踊りだったのか、と納得した。

抗議、という事では、ソヴィエト的な女教師の授業を子供達がボイコットするシーンと、その後の色々な事情を抱えた子供達が、それを超えて遊園地で遊ぶシーンは、民族紛争を乗り越えて国内の融和を願う気持ちが込められていたのか?

揉め事、混乱、理不尽な出来事、表面的な平穏、不本意な和解。それらが、いくつものエピソードで繰り返し語られる。しかし、そういったものを乗り越えた先の本当の和平を、理想を感じさせる、初々しく、瑞々しい作品だった。

 

「精神の声」はソクーロフ特集で上映された。300分超。休憩時間入れて、拘束時間7時間弱?ひえ〜

もっとソクーロフ特集に通うつもりだったが、結局これのみ鑑賞。

タジキスタンアフガニスタンの国境の紛争地帯に派遣されたロシア兵達を、写す。説明一切なし。

見る前の知識、国境の紛争地帯のロシア兵の映画、見た後に、この映画に写っている兵士達は、ほぼ全員戦闘で死亡と知る。

それだけ。

戦場の風景が映し出され、見回りをしたり塹壕を掘ったり、食事をしたりといった、日常が繰り返される、ひたすらの反復の映像。

モーツァルトとベートーベンと武満。

そして、戦闘、静寂。

映し出されるロシア兵達は、驚くほど幼い。おそらく、10代くらいかと思われるような少年がいたりする。童顔の日本人からすると、おっさんに見える人もいるが、笑顔が幼い。おそらく、大半が20代前半だろう。

「花咲くころ」を見ながら、2,3日前に見たこの映画を思い出した。直接の共通点はない。しかし、ソ連邦解体の流れの中の混乱という事と、戦闘シーンを直接写さずにその精神的なものを表現している、ということから連想したのだろうか。

 

「花咲くころ」の少女達は、あまりに出来過ぎているが、「ワンダーストラック」の子供達は、非常にリアルだった。

子供特有の傲慢さー嫌な意味ではなく、何も恐れるものなく、自らの正義や希望を貫く、非常に真っ直ぐな純粋さが、心地良かった。

1927年の少女と1977年の少年という、時代が違う少年と少女を中心に物語は進む。二人は耳が聞こえない為、セリフが非常に少ない映画だった。つまり、説明がほとんどない。新聞の切り抜きや本にはさまっているしおり、風景や表情、そういった情報を繋ぎ合わせて物語を読み解いていく。バラバラだった物語が後半一気に重なり合い、絡み合い、物語の全体が見える瞬間は感動的だった。

非常に素晴らしい作品だった。

 

先週見た11本の映画から、連想ゲームで書いたら、こんな感じ。立て続けに、子ども達の物語を見た。

今週はなんかバタバタ仕事していたら5本しか映画見てない。GW前に、来週は頑張って片付けよう。(ほとんどノルマ。これだからオタクって奴は…)

そんで、GWはすでに30本以上前売り券買ってるんだけど、バカなの?私。多分、9日間で40本くらい映画見るんじゃないかと思うが、アホなの?私。とりあえず、50本以内に収めよう…

恐怖についてー霊的ボリシェヴィキ

二月に公開されてから、なんだか予定があわず見逃していた「霊的ボリシェヴィキ」をギリギリ見ることが出来た。

見たい映画は沢山あるが、縁なく見逃す事もある。そして、不思議な縁で見る事になる映画もある。

劇場での上映終了間近のこの時期に、ポッカリ時間が出来て、見に行く事が出来た。

感想。

一言、怖かった。

 

私は、かなり小心だと思う。

映画を見ていると、割りとしょっ中ビクっとしている。

子供の頃は、家族みんなでテレビで見ていても、怖いシーンは苦手だった。ジョーズとかも、ダメだった。

しかし、段々と知恵がついてきて、中学・高校くらいになると、あれは全て作り物だ、という事を理解する。そうすると、その作り物を作る為の、全くもって無駄で馬鹿馬鹿しい努力を味わう事ができるようになった。この頃は、スプラッターが大好きだった。

そして、薄汚れた大人になった私は、人間の本気を味わうようになった。(インターネットの本気ではありません。)

本気で魂込めて作っている作品と、そうでない作品は明らかに違う。

例えば、グロシーン。

どれだけハラワタをぶちまけようと、計算を感じるものは、それ程怖くはない。

逆に腹わたをぶち撒けるシーンを撮るために作っている映画は、例え低予算でチャチなところがあっても、ぬら付き具合などが妙に気持ち悪かったりする。

商業映画は、沢山の人に見てもらってお金を稼ぐのが目的なので、楽しませてなんぼな為、不快で非道徳的な事柄は、うまい具合に隠そうとする。恐怖というものもある種の娯楽なので、無くしはしない。しかし、生々しさが出ないように加工して、あくまでも娯楽として消化出来るようにする。これは、ほとんど怖くない。楽しむ為に作られているから。

残酷な現実、容赦ない現実を描く為に、陰惨な表現が必要な場合もある。その場合は、他に描きたい物があるので、その邪魔にならないように、限界をさぐりながら描く事になる。これは、なかなか怖い事もある。

ただ、恐怖を描きたい映画は、本気で怖がらせようとしてくる。大体が低予算映画なのだが、ありとあらゆる手を使って、知力体力時の運全てを注ぎ込んで、怖がらせにくる。これは、怖い。そして、笑える。

愛情の反対が憎しみでは無いように、恐怖の対極にあるのは、笑いではない。笑いと恐怖は愛情と憎悪のように、非常に近しい関係だ。恐怖のあまり笑ってしまうような映画、これはかなり怖い映画だと思う。

その他にも、自分の中の幻影をなんとかして表現しようとする映画も怖い。CGで片付けず、特殊メイクや造形で手作りしてくる奴らは、怖い。ゾッとするような怖さがあるのだ。

 

霊的ボリシェヴィキ」は自主制作らしいが、非常に低予算感溢れる手作り映画だった。

脚本、演技、効果音、これだけ。

本当にこれだけ。なのに、怖い。

ストーリーなんて、ない。

霊的存在を呼び寄せるため、あの世に触れた事のある人たちが集められ、一人づつ自分の体験を話していくという実験が行われる。

これだけ。

本当にこれだけ。なのに、怖い。

特に怖かったのは、韓英恵が語るところ。なんというか、あの端正な顔が乱れ、まるで異質な物に作り変えられるのを目の当たりにするのだ。

あそこ、なんか画像処理してるよね?私そういうのよくわかんないんだけど、あれは、なんかしてるよね?なんなの、あれ。本当に怖かったんだけど。

コティングリー妖精事件も、恵比寿映像祭で見たばかりだったので、非常に生々しく感じてしまい、そういったところも、やめて〜、となった。

失礼な言い方かもしれないが、非常に安っぽい映画だった。刺激も少なく感じる人もいるかもしれない。でも、怖い。

娯楽として消化する事の出来ない、ホラー映画だった。久しぶりに、本気で怖がる事の出来た、ゾッとする映画だった。

 

ジョン バーンサルが可愛いーレッドスパローの感想がこのタイトルなのは、書いてる私もヒドイと思う。

「レッドスパロー」を見た。

例によって前もって調べたりせず、ジェニファーローレンス主演のスパイの映画、程度の情報で見に行った。スパイ映画だから、どんでん返しがあるんだろなぁ〜〜くらいのノリ。

ジェニファー ローレンス演じるドミニカは、ボリジョイのプリマバレリーナだったのだが、不幸な事件を引き金に道を踏み外し、スパイに仕立て上げられる、という物語。

出だしのジェニファー ローレンスのバレリーナ姿で少しズッコケる。だって、体つきが全くダメだから。ナタリーポートマンは、ブラックスワンの時、もっとちゃんと体作ってたよ。「レッドスパロー」はバレエ映画ではないから、メインのセクシースパイにあわせて体を作ったのだろうが、それにしても、ボリジョイのプリマが…

ボリジョイ劇場は、素敵だった。

昔、バレエに憧れてよく舞台を見に行ったのだが、上野や彩の国埼玉とかの劇場が好きだった。しかし、ボリジョイと日本の劇場とでは、当たり前だが全く格が違う。いつか行ってみたい。

バレエには非常に憧れたが、私は体が並外れて硬かったので、見ているだけだった。その後、必要に迫られて柔軟を頑張ったら、股割りできるようになったので、やっぱ人間気合いだよな、と思った事は、まぁ、どうでもいい話。

さて、ドミニカはバレリーナの夢を断念してから、スパイ養成学校にイヤイヤ行って、そしてそこでスパイの才能が開花する。

スパイ養成学校では、エゲツない事をやっているはずなのに、教室が明るく、解放感があり、清潔で、秩序立っているから、不安を煽るような事もなく、非常に見やすくまとめられていて、嫌味がない。そして、わかりやすい。

いわゆる人たらしの技術を仕込まれるのだが、その過程を教本のように見せられる。

まず、プライドを叩き潰し、自我を再構築させ(国家に忠誠を誓わせ)、ターゲットの欲望に合わせて自分を作りかえる。

ドミニカが吹っ切った瞬間、ターゲットの欲望を見切り、しかしそれに合わせず反対の行為を実行する事で、心理的に相手をたたき伏せるところは、女優魂爆発だった。バレリーナ頑張ってるとこより、この演技の方が凄いと思う。

その後、スパイになってからは、カワハギ職人とか出て来たりして、ちょっと痛そうだったりするが、血糊控え目で清潔な空間の明るい映像だから、サラッと見ることが出来る。

地下室みたいなところの拷問も、薄暗くてもくすんだ感じではなく、空気もよどんでいない。実にアッサリと拷問を描く。

スパイ映画だが、陰惨さがなくて、わかりやすく、素直にスルッと理解できる。

話のテンポが良くて、ダレる事なく楽しむ事が出来た。娯楽作として、いい作品だったと思う。

ただ、なんというか、非常に「アメリカ人いい人」押しが強くて、私はそういうところは好きになれなかった。なんか「尊敬されている日本、美しい国日本」みたいな感じで、押し付けがましくてうっとうしい。

アメリカ人ってもっと「アメリカが正義っていうか、オレ正義‼︎」という感じのオモロイ映画を量産してくれていたのに、どうしちゃったの?

映画が始まる前の予告でやってたやつなんて、「アメリカ人5人vsテロリスト5万人」とかいってたよ。ちょっとその算数おかしくないか?なんでアメリカをマイノリティーにしてんの?

そこいくとイーストウッドなんて、相変わらず「アメリカ正義」な映画を作っていて、イカす爺さんだと思う。テロリストの書割りぶりは、小学生の学芸会も真っ青だよ。素晴らしい。

いわゆる最近の「史実に基づく物語」を作っているイーストウッドは、「オレ正義」が欠けている。しかし、そうしてみて、ああ、イーストウッドって「アメリカ正義」の人だったんだな、という事が際立ったと思う。爺さん、余生は好きなだけ好きな映画を作ってくれ。

 

さて、そんなフツーのスパイ映画の感想をなぜ書いているのかといえば、それは、マティアス・スーナールツが出ていたから!

適当に見に行ったので、マティアス・スーナールツが出てるとか知らなかった。というか、私はこの人の名前を覚えることが出来なくて、チラシ見ても気が付かなかった。(ヒドイ。)

私は、オーディアールがあんまり好きではないのだが、それでももう一回「君と歩く世界」が見たいのは、マティアス・スーナールツが出てるから。

どんな人かと言いますと、ただ一言、可愛いんですよ。もう、無茶苦茶可愛い。

「レッドスパロー」では、なんかプーチンを意識したビジュアルだったが、それもまた良し。

で、タイトルのジョンバーンサルですよ。もう、無茶苦茶可愛いくて、可愛いくて、可愛い俳優さん。

どんな映画に出ているかというと、「ベイビードライバー」の一番最初の強盗トリオのイケメンじゃない方の人とか「ザ コンサルタント」の弟とか。

私はバーンサルの可愛さに「レジェンダリー」で、目覚めたのだか(映画は普通)「ブラッド スローン」も良かった(映画は普通)。あ〜、ヒューマントラスト渋谷ありがとう〜〜

この人は、血まみれになって無駄死にする役が最高に似合う人。

スーナールツもバーンサルも、主役ではなくて準主役くらいで、最後に死ぬ役が最高。

と、いう訳で、「レッドスパロー」は私的には大満足のエンディングの映画だった。サイコー!

(色々とヒドイ。)