いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

美しい映画でした。ー『キャロル』

しばらくアカデミー賞がらみの感想を書こうと思います。たまに見逃す映画がありますが、大体の作品は見ています。3ヶ月で約80本の映画を見ているにもかかわらず、何故見逃す映画があるのか自分でも不思議です。話題の作品はなるべく見るようにしているのですが、劇場公開時に気分が乗らないと、私のようなTVを持っていない人間には致命的なのです。

『キャロル』は当初そんなに見たいと思っていませんでした。映画の上映時間が調度良かったので(『ヘイトフル・エイト』の前の時間つぶし。)なんとなく見に行っただけなのですが、本当に見に行って良かったです。
美しく抑制の効いた作品で、非常に好みのタイプの映画でした。

デパートで売り子の仕事をしているテレーズは、ある日、娘のクリスマスプレゼントを買う為に来店したお金持ちの奥方であるキャロルと出会い一目で惹かれ合う…というアホみたいな始まり方をするのですが、これが非常に美しく説得力のある描かれ方でした。
全体に粒子の粗い映像が、曇りガラスごしに見ているような印象でした。実際にガラス越しに眺めている場面が多かったように思います。それは、キャロルは抑圧された状態から自由な外の世界を眺めているようであり、テレーズは未知の世界に憧れながらも一歩を踏み出す事が出来ないためらいのようでもありました。
花曇りのようなはっきりしない雰囲気の中、キャロルのエレガントな美しさだけはくっきり描かれていました。テレーズが惹きつけられる様子が非常に鮮明でした。常に美しいキャロルが中心にあり、自分をはっきりと主張する事が出来ないぼんやりとしたテレーズが、やがて自分の望みを自覚しその為に傷付いてもあきらめず、一歩踏み出して強く変化していきます。

キャロルの美しさは完璧ですがひどく硬質で、微笑んでいても底が見えない、良く言えばミステリアス悪く言えば人を拒絶しているように見えます。それは、離婚調停中の決して自分の有り様を認めようとしない夫や、決して自らのセクシャリティを認めようとせず(最愛の一人娘を奪おうとする)世間の常識などに対しての頑なさからくるものだったのかもしれません。
2人はーキャロルは確信を持って、テレーズは戸惑いながらー距離を縮めていきます。
クリスマス後、テレーズは恋人のリチャードに呆れられながらキャロルとの旅行に出かけます。テレーズはなんとか言語化して自分の戸惑いを一生懸命説明しているのに、リチャードは女性同士で惹かれ合うという事が全く理解出来ません。そのかみ合わない様子がとてもおかしかったです。1つの価値観のみを信じ、それ以外の(彼の理解を超えた)価値観や存在を理解することが出来ないリチャードと、そんな世界に違和感を感じていたテレーズ。

キャロルと夫、テレーズとリチャードーこの物語を男女の物語として描くとただの女性の自立の物語になってしまったと思いますが、キャロルとテレーズの物語として描くことにより、人間としての自立の物語となっていたと思います。レズビアンの映画というより、相手に惹かれていく過程で自分を深く見つめて変化していく、そんな映画でした。最後の方のキャロルの『宣言』は非常に感動的でした。

最後のキャロルの『宣言』以外は、セリフでは多くを語らず、余韻を味わうタイプの映画であったと思います。視線や仕草や空間が多くを語る、映画を見る楽しみを堪能することが出来る作品でした。

私にとって一つ残念だったのは、ラストがあまり私の好みではなかった事です。ラストの手前の、映画の冒頭のシーンに戻ってからパーティに行くシーンがとても良かったので、そこで終わって欲しかったです。同じシーンを違うアングルで映すことで、テレーズとキャロルの視線が交差し、またアングルの変化がテレーズの変化のようでもあり、良いシーンでした。

余談ですが、ケイト・ブランシェットアカデミー賞をとった『ブルー・ジャスミン』でも美しい(元)人妻を演じていましたが、どちらもエレガントな女性なのですが、全く違うタイプの女性でした。自分の信じたい事だけを信じ見たいものだけを見て夫に依存していたジャスミンと、知的で自立したキャロル。その違いの一つが、飲んでいたお酒だったと思います。ジャスミンは破産してお金がないにも関わらずシャンパーニュを好む虚栄心の強い女性(もっとも、ラストの方では安酒で酔っぱらっていましたが。)、一方キャロルはクールにマティーニを飲む。どちらも、それぞれのキャラクターにあったお酒でした。
お酒と美味しいものが大好きなので、そういうシーンがとても気になってしまうのです。