いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

いいエイズとわるいエイズー「BPM」とはあちゅうさん

ちょっとだけ。

BPM」はカンヌでグランプリをとった映画。

 

90年代始めのパリで活動するACTUPというHIV/エイズへの偏見や差別に抗議するグループの活動と人間関係を描く。

 

ほんの一瞬だけど、ゲイの患者と血友病の患者が意見が食い違うシーンがある。その時に、血友病患者の方がマスコミ受けがよくって、政治的にも見映えがいい、といった感じの発言がある。

(追記。映画では血友病エイズ患者の母親が、ACTUPから役人に死刑を求める声明を出そうと提案した事について、ゲイのエイズ患者がそれはACTUPが求める要求とは違う、と主張するシーンがあった。そのシーンでの発言。)

1990年代に日本で語られたのも、血友病患者のHIV/エイズ感染について、いわゆる薬害エイズのみだった。その他のゲイや麻薬使用者やセックスワーカーの感染については、ほとんどテレビなどでは報道されていないと思う。

確かに薬害エイズは酷い話であったし、患者は完全なる被害者だった。しかし、その他の原因で感染した人達も、同じ病気に感染した被害者だ。

それなのに、感染経路によって、いいエイズと悪いエイズに分けられていた。

同じ病気に苦しむ患者なのに、同じ病気の被害者なのに、完全なる被害者と、知識不足やちょっとした不注意での感染による被害者ーその多数を占めるのが、社会的に差別されているマイノリティーだった。ーを分けるのはおかしくはないか?

今風に言うと、「自己責任」という事になるのだろうか。

 

映画が終わってから、つらつら思ったのが、はぁちゅうの、新潟県知事の件についての発言。

あれも、いいセクハラと悪いセクハラー許されるセクハラと許されないセクハラって感じで、いやな感じだった。

(追記。どちらも性的搾取の被害者の告発という点では、同じではないだろうか。)

被害者の属性や行為から、いい・悪いを判断するのはあまりいい事ではないのではないだろうか。

はぁちゅうは、林真理子の発言を支持していたのだが、この二人は「脳みそが女で目線が男」だと思う。

考え方や行動や価値観は女性的だが、男社会の荒波にもまれているからか基準が男性的。社会的に成功している女性はこのタイプが多いかな。

はぁちゅうは自身のmetooで、上司のセクハラに耐えたのは、見返りを期待した部分もあった、浅はかだった、といった感じの事を言っていたと思うけど、それがOKならこれもOKでしょう?

 

世界報道写真展では、毎年HIV/エイズ患者の写真が展示される。それは患者が、ゲイなど社会的弱者であったり、セックスワーカーなど貧困層であったり、社会問題として考えなければならない事だからだ。

ほとんどの写真が悲惨なものであり、それを自己責任で片付けるのは、傲慢であると思う。

 

どのような問題でも、同じ被害者を、いい・わるい、で分けるのはあまりよろしくないのではないだろうか。

我々は、社会の問題として、一緒に考えなくてはならないのではないだろうか。

 

追記した。

昨夜は、今一番お気に入りの蔵である梅乃宿の季節限定生酒飲みながら書いてたら、なんか抜けてしまった。

一度公開したものは、基本的に訂正しない、と決めていたけど、これはちょっとだけ、追記。