いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

うつくしいせかいー『君の名は』と『この世界の片隅に』

私は、自分がターゲットから外れているな、と思う映画は見ない事にしている。自分ゾーニングである。

しかし、流行り物は一応押さえておこう、とも思っている。みんながいいと言っているものに違和感を感じたら、そのズレが何処にあるか考える為だ。

 

なんだか『君の名は』がえらいヒットだという事なので、年が明けてから『この世界の片隅に』とアニメ2本立てにして見てきた。

『君の名は』は明らかに自分がターゲットから外れていると思われるが、そんなにヒットしているなら一応見ておいた方がいいか、と思ったのだ。年が明けてからならファンの熱狂も落ち着いているんじゃないか、と思ったのもある。

客の入りは半分くらいだった。想像していたより席が埋まっていたので、少々ビビった。

映画が始まって、丹念に描かれている絵に感動する。凄い綺麗だった。だが、やはり、物語には全く乗る事が出来なかった。

大体、私は少女漫画がよくわからないし、連ドラとか面白さが全く不明だったし、少年漫画誌恋愛漫画枠の存在がさっぱり理解出来なかった人間なのだ。

私には向いていない映画だった。もう少し火薬の使用量が多ければ、あるいは娯楽作として消化出来たかもしれないが、色々と物足りなかった。

しかし、この映画が好きだという人がいるのは理解出来る。美しい映画である事は間違いないと思う。それは、映像だけでなく、美しい感情のみをすくい取った物語だからだ。そういう物語が好きな人は沢山いる。

私が思い付く物語なんぞ、隕石が落下した事により未知のウイルスに感染、人類がゾンビ化→過去と夢でつながった主人公が頑張ってそれを阻止、とかそんな話しか思い付かね〜わ。

これは、それまでの人生経験とかは関係なく、その人間の嗜好の問題であると思う。なにを好ましいと思うか、面白いと思うか。勿論、人生経験によって影響を受けるところもあるだろう。でも、それだけではない。

この映画は女性にも好きな人はいるかもしれないか、基本的に男性向けの漫画だと思う。私が一番それを強く感じたのは、女体化とか巫女さんではなく、奥寺先輩だ。みんなに人気の年上の格好いい女性が何故かさえない主人公に好意をよせる、というやつだ。普通ないわ、そんなの。

やはり、私はこの映画のターゲット外だ。こんな感想で申し訳ない。

 

では、『この世界の片隅に』 がどうだったかというと、非常にいい映画だったと思う。丹念に描かれた物語が、心に染みる映画だった。

生活の描写などは本当に見事で、食べ物の工夫などはとても面白かった。着物を二部式のモンペに仕立て直すところで、けんちょうきで一生懸命チクチク縫っていたり、「お古だけど、モスリン(聞こえなかった。違うかも。人絹かな?)が入ってないの。純綿よ。」と言ってはしゃいでいるところも可愛かった。

しかし、これもイマイチ乗り切れなかった。なぜなら、私はドジっ子が生理的に受け付けないのだ。

映画に没頭しかけると、ドジっ子を見て我に帰る、ということを繰り返した。

ケチのつけようのないあの映画に、よくもそんなつまらないケチを付けるな、と自分でも呆れるが、ドジっ子はムリ。

お義姉さんがすずさんにイラつくのも無理は無いと思う。

お義姉さんは自分で仕事を見つけて、旦那さんと出会い結婚をして子供を作り、旦那さんと一緒にお店を切り盛りしてきた。努力をして、一生懸命に、主体的に生きてきた。しかし、戦争によって全て失ってしまう。

そんな時に目の前であんなのがフワフワしていたら、それはイラっとするだろう。ただひとつ手元に残った幼い娘まで奪われたら、それは「お前が死ねば良かった」と言いたくもなるだろう。

ただ、お義姉さんもすずさんも善い人間だから、人を傷つけたりする事を望まない真っ当な人間だから、傷つきながらもお互いを思いやり懸命に生きている姿に胸をうたれる。

 最後に、広島からすずさんについて来た少女に、お義姉さんが晴美ちゃんの洋服を出してあげるシーンは、泣いた。とてもいいシーンだった。

いい映画だったと思う。でも、すいません。ドジっ子はムリです。こんな感想で申し訳ない。

 

2本の映画に共通しているのは、悪人が出てこない事。普段、悪人がワサワサ出て来る映画ばかりみているので、最後のどんでん返しを警戒したが、勿論そんなものはなかった。

でも、2本の映画は全く違うものだった。

『君の名は』は悪人のいないパラダイスの物語だった。だから、美しい。

この世界の片隅に』は悪人は出てこないが、胸がつぶれるほどの悪意に囲まれた世界の物語だった。しかし、奇跡的に美しい。

どちらも、丁寧に作られたよく出来た映画であったと思う。それぞれの作品を愛してやまない人達が、絶賛するのも当然の映画だった。