いきおくれ女子いろいろウォッチ

映画の備忘録として

2016上半期 映画まとめ⑴

ブログを書くのは難しいです。

毎日更新など夢のようです。「面倒臭い」という気持ちに負け続けています。

とにかく、上半期を総括して週一更新くらいのペースを…と思っていましたが、もう8月!!です。

なんでもいいからとにかく書こう!と思った次第です。

 

2016年1月〜6月で鑑賞した映画は全部で160本でした。新作、旧作、特集上映様々です。ベストは新作のみから選びました。

会社用ベスト(余り映画に興味がない人や映画をカジュアルに楽しんでいる人によかった映画は?と聞かれた時に答える映画です。メジャーな映画のみ。)

クリード』とにかく最高でした。こんなに素晴らしい続編はない、大満足です。非常に才能がある監督で、映画としてもいい出来だったと思います。

クリード2』の予定もあるけれどもクーグラー監督の予定があわない為別の監督で、という話を読んだので次作は見ないかなと思っていました。しかし、あるトークショーで「次作は中国資本で中国人ボクサーが出てきたりして。」という話を聞いて、それってカンフーサイボーグ!と1人盛り上がってしまいました。…ロッキー4好きなんです。バカ映画とわかっていますが、好きなんです。次作、VSカンフーサイボーグなら見にいくかもしれないと思いました。

サウルの息子』若干マイナーかもしれませんが、アカデミー賞の外国語部門受賞したので。

ホロコーストのゾンダーコマンドの映画です。ナチ映画にありがちな悪を告発するというスタイルではありません。

全体を俯瞰する映像はほとんど無く、非常に狭い視野の混乱したまとまりの無い(ように作られた)映像が続きます。死体の描写はまるで記号のようでした。それはおそらく正気を失いかけている主人公のサウルの視点の映像で、その映像から行間を読み解くという、映画の醍醐味を味わう事が出来る映画でした。見応えがあります。

『ルーム』非常に強く「生きる」という意思を感じさせる映画でした。こういう映画、好きです。『オデッセイ』も同じく生きる、生きのびるという意思を強く感じる映画でしたが、どちらかというとサバイブするという感じでした。『ルーム』の方も監禁状態からのサバイブする物語なのですが、もっと深く生きることを見つめた映画であったと思います。

生きのびる為に自分が出来るベストを尽くす、という姿勢が心を打ちます。救出される瞬間、世界が広がる瞬間、しかし世界は優しくはなく打ちのめされる瞬間。それでも生きるという選択。素晴らしい再生の物語でした。

『スポットライト』聖職者による児童への性的虐待という、非常にショックの大きい、痛ましい事件の映画です。心の拠り所となるべき信仰に裏切られ心に大きな傷を負った子供達。そして、その事実を知りながら隠蔽した大人達。この映画は被害者の救済を描く物語ではなく、子供達を守るべき大人達の犯罪そして裏切りを暴いていく物語です。

救いはありませんが、自分の仕事に信念を持つ人間達の、正義を追求し正義を問いかけてくる映画でした。

本を購入しましたが未読了。早く読まなくてはいけない…

『帰ってきたヒトラー』笑えるけれども後で怖いというホラー映画のような作品。始まりはコミカルなのですが、あれ?あれれ??という引っかかるシーンを挿入して段々と不穏な雰囲気になっていくというホラー映画の定番。いえ、ホラー映画ではないんです。人間の大衆心理の怖いところをみせる映画です。

最後の方でヒトラーを告発するお婆さんの声に耳を傾ける事が出来る人間になりたいと思いました。

 

上半期の失敗。

会社でエクスペンタブルズの話が出来る唯一の人(しかし彼女は旦那さんと仲良く見に行くのだ。そこが私と大違い。)に「なにか面白い映画はありますか?」と聞かれた時に、調度会社用オススメ映画を準備していなかったので、思わずマジで「マジカルガール面白かったです。」と言ってしまった事。その後すぐに我に返って「この映画はスペイン映画で少しマイナーです。話が悪い方へ悪い方へ転がっていくので、週末の楽しいひと時向きではないかなぁ〜」とフォローしたところ、明るい映画が見たいなぁ〜と言っていたので別の映画を見るかなと安心しました。しかし、週明けに「マジカルガール見ました。」との事。ひぃあぁぁ〜「見終わったら旦那さんが気分が悪そうで、お茶でも飲んで行く?って聞いたら一刻も早く家に帰りたい…と言われました。」くわぁぁぁ〜「すみません、痛そうだって言うの忘れてました。」と言ったら笑われました。

常にどこから聞かれても問題が無いように、会社用オススメ映画は準備しておこうと思いました。

ちなみに夏休み前にこのご夫婦にオススメしたのは『シン・ゴジラ』と『FAKE』です。これなら大丈夫。そして『シン・ゴジラ』はとても面白かった模様。

 

行って帰ってくるだけの物語に何故こんなにも熱狂するのか ー マッドマックス 怒りのデスロード それから、ゾンビ マックス

マッド マックスは昨年6月頃の公開だったので、初見から約一年たちましたが、まだあの興奮は抜けません。
正直、マッドマックスにそんなに思い入れはありませんでした。マッドマックスは子供にはハードすぎました。『ナイトライダー』の方が(お星様になった方ではなく騎士様の方です。)キットがおしゃべりして可愛かった記憶があります。
そんな訳で、映画を見る前に私が考えていたのは「ダークナイトの悪夢の再現で、トム・ハーディがあの変なマスクを映画の間中ずっとつけたままだったらどうしよう…変なマスクはサクッとはずしてイケメン全開で活躍してほしい…」だけだったのです。本当にそれだけが心配でした。
映画を見て、トム・ハーディはサクッとマスクを外してくれたので、本当にホッとしました。

核戦争後の資源が枯渇した近未来、生き延びた人間達は残された資源を奪い合い、荒廃した世界で生きていました。そんな中、イモータン・ジョーが統治する砦では、ジョーは水や資源を独占している独裁者であるにも関わらず、神のように怖れ敬われていました。人々は疑問を持たず、もしくはなにも考えず、妄信し、ただ群がるだけです。人の言う事を鵜呑みにして思考停止になり、自分では何も責任をとらず、ただ待ち続けるだけの人々。そして何も考えず、ただ争い戦うだけのウォーボーイズ達。
そんな中から、フュリオサは、女達は自分の道を自分で選び切り開こうと立ち上がります。それは自分の人生を生きる事でもあります。
そしてそこに異分子として、「ジョー?何それ?」といったマックスが飛び込み搔き回します。
そして、車がガーってなって、どっか〜んってなって…という映画でした。多分。

何故そうなのか、どんな世界なのか、どんな人達なのか、ほとんど説明のない映画でした。セリフも必要最低限しかありません。
でも、映画をみていると、わかるのです。物凄く丁寧に作り込んだ画面や車や服装やメイクから、必要な情報は全て得る事が出来るのです。
とにかく常に追いかけっこをしているか、車が走っているか、銃を撃っているか、車が転がっているか、銃を乱射しているか、爆発しているか、ギター弾いているだけなのですが、全く無駄なシーンがなく、それなのに不思議なことに詰め込み過ぎという事もないのです。ものすごい情報量なのに無駄が全くない、凄い映画です。

物語について、フェミニズム的にみたり色々な見方があるようですが、優れた作品というものはいくつもの見方が出来るものであり、そういった意味でも素晴らしい作品だったと思います。
ただ、私は、監督が一番撮りたかったのは、やはり車がガーって走っていく映画だったと思うのです。でも、それだけでは企画通らないから、今時流行りの要素を入れたのかなと思ってしまいます。
勿論、監督が日頃から興味を持っているテーマだったのだろうとは思います。日頃から意識していないと、女性の描写などはただポジティブで押しが強いだけのステレオタイプなものになってしまい、この映画のしっかりと自立した人間としての描写にはならなかったと思います。エネルギー、水、エコについても、背景として出てくるだけにも関わらず、非常に丁寧に描写されてしました。
それでもやはりこの映画は、狂った車の物語だったと思うのです。

世界観やキャラクターが非常に作りこまれており、きっと監督はいつかこの映画を撮りたいと思って、長年物語を温めていたのだろうな、と思いました。そして、いつかまた新作を見たいと妄想していたファンと最高に幸福な邂逅を果たしたのだろうな、と思いました。

余談ですが、今年の未体験ゾーンの映画たちでは、チラシを見た瞬間に「絶対見よう!」と思い、あらすじもなにも読まずに楽しみにしていたのが『ゾンビマックス 怒りのデス・ゾンビ』でした。どんなに、どんなにアホな映画かとワクワクして見に行ったら、期待通りのアホ映画で大満足しました。若干展開に無理がありましたが許容範囲、というかあの低予算感あふれる映画で、しかもゾンビネタでよくぞあそこまでまとめあげた、と思いました。邦題がアレなので便乗クソ映画の恐れもありましたが、原題は全く違うので、邦題は駄洒落好きのおっさんがつけたのでしょうか?まぎらわしいですが、気持ちはわかるといった感じです。
流星が地球に降り注いだ後一夜で何故か人類ゾンビ化→RH-型だけ何故かゾンビ化しない→化石燃料が何故か使えなくなる。→ゾンビが吐き出すガスが何故か燃料になる→ゾンビを車につないで爆走。
…まぁ、マックスって言いたくなる事もあるかもしれませんね。
さらに、RH-型以外にも何故か助かった人達がいる→組織化してRH-型を何故か捕まえてマッドサイエンティストが出てきて人体実験→人体実験の結果、主人公の妹が何故かネクロマンサー化してゾンビを操る、という展開。そしてラストに何故かイケメンのタイマン。全て一切説明ナシの潔さ、最高です。
ダメな作品って何故か解説したがるのですが、あれは最悪だと思っています。本当にシラけるのであれだけは勘弁していただきたいものです。
そういえば、ニュークス君も以前超イケメンのゾンビをやっていまして、『ウォームボディズ』といいますが、これも面白かったです。ちょっと私のストライクゾーンはハズレているのですが、しかしイケメン、これからの活躍も期待したいです。

そんなこんなで、マッド マックスはいらん解説もウザい説教もない、誠に最高な映画でございました。
時間があったら、立川の爆音でもう一度見ておきたいと思います。



美しい映画でした。ー『キャロル』

しばらくアカデミー賞がらみの感想を書こうと思います。たまに見逃す映画がありますが、大体の作品は見ています。3ヶ月で約80本の映画を見ているにもかかわらず、何故見逃す映画があるのか自分でも不思議です。話題の作品はなるべく見るようにしているのですが、劇場公開時に気分が乗らないと、私のようなTVを持っていない人間には致命的なのです。

『キャロル』は当初そんなに見たいと思っていませんでした。映画の上映時間が調度良かったので(『ヘイトフル・エイト』の前の時間つぶし。)なんとなく見に行っただけなのですが、本当に見に行って良かったです。
美しく抑制の効いた作品で、非常に好みのタイプの映画でした。

デパートで売り子の仕事をしているテレーズは、ある日、娘のクリスマスプレゼントを買う為に来店したお金持ちの奥方であるキャロルと出会い一目で惹かれ合う…というアホみたいな始まり方をするのですが、これが非常に美しく説得力のある描かれ方でした。
全体に粒子の粗い映像が、曇りガラスごしに見ているような印象でした。実際にガラス越しに眺めている場面が多かったように思います。それは、キャロルは抑圧された状態から自由な外の世界を眺めているようであり、テレーズは未知の世界に憧れながらも一歩を踏み出す事が出来ないためらいのようでもありました。
花曇りのようなはっきりしない雰囲気の中、キャロルのエレガントな美しさだけはくっきり描かれていました。テレーズが惹きつけられる様子が非常に鮮明でした。常に美しいキャロルが中心にあり、自分をはっきりと主張する事が出来ないぼんやりとしたテレーズが、やがて自分の望みを自覚しその為に傷付いてもあきらめず、一歩踏み出して強く変化していきます。

キャロルの美しさは完璧ですがひどく硬質で、微笑んでいても底が見えない、良く言えばミステリアス悪く言えば人を拒絶しているように見えます。それは、離婚調停中の決して自分の有り様を認めようとしない夫や、決して自らのセクシャリティを認めようとせず(最愛の一人娘を奪おうとする)世間の常識などに対しての頑なさからくるものだったのかもしれません。
2人はーキャロルは確信を持って、テレーズは戸惑いながらー距離を縮めていきます。
クリスマス後、テレーズは恋人のリチャードに呆れられながらキャロルとの旅行に出かけます。テレーズはなんとか言語化して自分の戸惑いを一生懸命説明しているのに、リチャードは女性同士で惹かれ合うという事が全く理解出来ません。そのかみ合わない様子がとてもおかしかったです。1つの価値観のみを信じ、それ以外の(彼の理解を超えた)価値観や存在を理解することが出来ないリチャードと、そんな世界に違和感を感じていたテレーズ。

キャロルと夫、テレーズとリチャードーこの物語を男女の物語として描くとただの女性の自立の物語になってしまったと思いますが、キャロルとテレーズの物語として描くことにより、人間としての自立の物語となっていたと思います。レズビアンの映画というより、相手に惹かれていく過程で自分を深く見つめて変化していく、そんな映画でした。最後の方のキャロルの『宣言』は非常に感動的でした。

最後のキャロルの『宣言』以外は、セリフでは多くを語らず、余韻を味わうタイプの映画であったと思います。視線や仕草や空間が多くを語る、映画を見る楽しみを堪能することが出来る作品でした。

私にとって一つ残念だったのは、ラストがあまり私の好みではなかった事です。ラストの手前の、映画の冒頭のシーンに戻ってからパーティに行くシーンがとても良かったので、そこで終わって欲しかったです。同じシーンを違うアングルで映すことで、テレーズとキャロルの視線が交差し、またアングルの変化がテレーズの変化のようでもあり、良いシーンでした。

余談ですが、ケイト・ブランシェットアカデミー賞をとった『ブルー・ジャスミン』でも美しい(元)人妻を演じていましたが、どちらもエレガントな女性なのですが、全く違うタイプの女性でした。自分の信じたい事だけを信じ見たいものだけを見て夫に依存していたジャスミンと、知的で自立したキャロル。その違いの一つが、飲んでいたお酒だったと思います。ジャスミンは破産してお金がないにも関わらずシャンパーニュを好む虚栄心の強い女性(もっとも、ラストの方では安酒で酔っぱらっていましたが。)、一方キャロルはクールにマティーニを飲む。どちらも、それぞれのキャラクターにあったお酒でした。
お酒と美味しいものが大好きなので、そういうシーンがとても気になってしまうのです。




生まれて初めてブログなるものをはじめてみる。ーとりあえず『クリード』からはじめてみる。

今、右側に「最初の記事を書いてみましょう。」とあって、「意気込みを一言」「自己紹介をしましょう」とかいうありがたいアドバイスがありますが、去年ブログをはじめようとした時に、これが書けずに敗れ去ったので、今回はガン無視でいこうと思います。

大体、見た映画の感想をちょっと書きたいだけなので、意気込みといわれても…。

自己紹介としては、映画や絵画や写真を鑑賞するのが好きですが、それらについて高等教育を受けた訳ではないので(学生時代の専攻は法律でした。専門は保険・海商法、損害保険です。)印象などをチョロっと書くのが関の山。とりあえず、見た映画などの備忘録として使いたいと思います。

今年は1月31本、2月28本、3月今のところ23本の映画をみました。全て劇場鑑賞、新作・旧作・特集上映、色々です。その中で印象に残った映画、沢山ありますが、まずは年明け早々にみた『クリード』。今年の会社用映画ベスト(あまり映画を見ない人に面白い映画を聞かれた時に答えるベスト10をこう言っています。会話の糸口になるようなメジャーな映画のみ。)です。新年早々にもう1位決定しました。映画を見て泣き、思い出して泣き、アカデミー賞の発表を聞いてまた泣きました。助演男優賞、スタローンだと思ったんだけどなぁ…。映画を見る前は、今更スタローン・ロッキーって気分でもなかったのですが、惰性と、あと監督がフルートベール駅の監督だったのでとりあえず見に行ったところ、あまりに、あまりに良すぎました。

物語は非常に単純、試合して仲直りして終わり、試合前は色々もめるんだけど試合が終わったら仲直りして終わり、最初は仲間がいないんだけど最後はみんなが応援してくれて終わり、みんないい人で終わり。そして、それぞれにどうにもならない事情を抱えた人達が、決して諦める事なく、打ちのめされても何度でも立ち上がり力強く生きていく物語でした。そんな陳腐な物語を、期待以上に感動的に盛り上げてくれました。素晴らしかったです。

アポロの私生子として生をうけ、生まれてすぐに父母を亡くし施設で育ったアドニス。そのアドニスをアポロの妻メアリー・アンが引き取るところから映画は始まります。アドニスは一旦はエリート街道に乗るものの、ボクサーの夢を捨てる事が出来ずチャレンジしようとします。しかし、養母も周囲の人間も皆アドニスがボクサーになる事を許してくれない為、父アポロのライバルであり親友のロッキーのもとへ行きます。ロッキーとアドニスの出会い、そこから物語が始まります。

老けたロッキー、周りの人が次々と去っていき取り残されていくロッキー、孤独であるけれども静かに頑固に生きているロッキー、人生の悲哀を強く感じさせるけれども決して惨めではなく、去りゆく孤高の老兵をあそこまで見事に演じたスタローンが何故アカデミー賞をとれなかったのか…『ブリッジ・オブ・スパイ』見逃したんで比べる事が出来ないんですけど、納得いかない…。

タイトルは『クリード』ですが、間違いなくあの映画は『ロッキー』でした。でも、やはりアドニスの物語であり『クリード』なんだよな、とも思います。アドニスは父親が偉大なチャンピオンで、彼の家はお金持ちで何一つ不自由の無い人生であるにも関わらず、決して満たされない心の空洞を抱えています。アドニスもまた自分一人ではどうする事も出来ない、勝つ事でしか手に入れる事が出来ない物を追い求めている、ロッキーと同じチャレンジャーなのです。クリード=ロッキーがチャンピオン=父=アポロに挑むという、まぁ、泣きますね、普通に。そこで、あの、名曲がかかるわけですから、泣きますね、普通に。それにしても試合のシーン、本当に格好よかった。

この映画で一番好きなシーンは、ガンになってしまったロッキーに「お前は家族じゃない」と言われ、恋人のビアンカのライブで喧嘩してビアンカに愛想つかされて…と散々な目にあってしょぼくれているアドニスに、ジムの近所のヤンキーが「お前、アポロの息子なんだって?」と話しかけるところです。「そうだ。」とアドニスが答えると「そうか。」と言ってバイクに乗って行ってしまう。言葉にするとこれだけですが、とても淡々としたシーンなのですが、ここが本当によかった。それまでアポロの息子というだけでジムに入る事を拒否されたり、利用されたり散々だったアドニスが、はじめて特別扱いされずただあるがままに受け入れられた瞬間。なんかそこで色々吹っ切れた感じのアドニスの表情に涙腺決壊。そして近所のバイカー達とスタローンの病院まで走るシーンにさらに泣く。泣くなというのが無理。今思い出しても泣ける、というか泣きながら書いています(バカ)。

それにしてもこの監督、こういったなんという事のない日常のひとコマの中で、ほんの一瞬のその空気の中に、なんというか「人間」を描くのが本当に上手いと思います。それが物語に奥行きを持たせて、この世のどこかに本当にエイドリアンズというお店があって、滑舌の悪いイタリアの種馬が店長で、そして亡き親友の息子のボクシングのコーチをしている町があるんじゃないかと思ってしまいます。まぁ、フィラデルフィアなんですけどね。行きたいなぁ〜フィラデルフィア‼︎

パッション先行で何書いているかわからなくなったところで、逃げるように終わります。今更だけど、そういえば私、映画でも本でもあらすじ説明するのが苦手で、好きな作品ほど何言っているかわからなくなるタイプなんですよ。(自己紹介)